平成21年5月から,裁判員裁判が始まりました



刑事裁判は,社会で刑事事件が発生し,それを解決するために行われるのですが,裁判で判決が出されただけでは,解決したことにはなりません。どのような事件でも,被告人と被害者は,被告人が刑を受け終えて,社会に戻った後は,一緒の社会で再び暮らしていくのです。その段階で,社会が幸せにならないと,その事件の解決はうまくいかなかったということになります。


昔は,法律は王様が使い,社会を動かしてきました。社会をタイムリーに動かしていくことを考えると,本当は国家権限の担い手は1人の方が都合が良いはずです。でも国家権限をあえて3つに分け,相互の均衡させるのは,「この世には完全な人間はいない」という,人類がたどり着いたとても悲しい結論のためかもしれません。国家権限を3つに分けているのは,この世には完全な人間はいなくても,それでも人類は社会をより良い姿に変えていくためにあみだした知恵なのかもしれません。



その国家権限の内,司法権は,法曹三者制度という制度により,社会に生じた事件を,3つの方向から光りを当てることで,適切な解決を導こうとしています。刑事事件で申しますと,検察官は事件の悪い側面に光を当て,弁護人は良い側面に光を当てます。そして裁判官は,それを中立的な立場で耳を澄ませて聞きながら,自らも事件に光を当てるのです。



この法曹三者制度も,司法試験に合格した法曹をあえて3つの役割に分け,それぞれが違った方向から事件に光を当てることで,その事件の事実認定,そして量刑につき,最も適切な解決となる,という知恵でしょう。それもやはり「この世には完全な人間はいない」けれども,司法権を適切に行使し,社会を良い方向に動かしていくために,人類が生み出した知恵なのでしょう。



日本の社会では,これまで法律の専門家のみが法律を動かすだけでした。その結果,刑事裁判の結果が,社会の求める事件の解決と離れてきているのではないか,という意見が見受けられるようになりました。そのような法律制度と社会の現実との乖離を受け,刑事事件の解決をより社会が求めている姿に近づけるために,裁判員裁判が平成21年5月21日から導入されました。



このように裁判員裁判は,これまで法律の専門家のみによって行われていた刑事裁判に,裁判員の方々にも参加していただくものです。上述しましたように,これまでは,法曹三者が3つにその役割を分け,検察官が検察官の立場から事件に光をあて,弁護人は弁護人の立場から事件に光をあて,そして裁判官がその事件の評価を行ってきました。そこに裁判員の方々に参加していただくことで,裁判員の方々から国民一般の目線に立って事件に光をあてていただくことで,刑事事件の解決を,より社会の求めている姿に近づけていこう,という制度です。







元々法律そのものは紙の上に書かれた存在にすぎません。その法律に,一人一人が,自身の価値観,社会観,経験などからアプローチすることによって,法律は動き出すのです。その結果,社会も変わっていきます。


そして,法律がよりよい動きをするためには,多様な価値観,経験が反映されることが望ましいのです。反映される価値観の多様性こそ,法律の命であり,それが多様であれば多様であるほど,法律は社会をより良い姿に変えていくことができます(法律に反映される価値観が一人のものにすぎないと,それは法の支配ではなく,王様の支配と同様の人の支配となってしまいます)。


先ほども申しましたが,裁判員裁判制度は,これまで法律の専門家のみによって行われていた刑事裁判に,裁判員の方々にも参加していただくことで,裁判員の方々から法律の専門家とは異なる光を発生した事件にあてていただこう,という制度です。


ぜひ私どもと一緒に,刑事裁判に参加していただいて,裁判員の立場から,専門家では思いつかないような,価値観,社会観,経験から,事件に光をあてていただき,その結果,刑事事件の社会的解決を,より社会が求めるものに,近づけていっていただきたい。そう思っております。