カルマとか、カルマの刈り取りと聞いてしまうと、人はどうしても悪しきカルマを考えてしまう。前世の業とか、悪さをした報いだとか。
けれども実際には、前世から持ちきたったものは、善いものもあるはずですね。
善いカルマです。
たとえば勉強が得意とか、運動が得意とか、歌が上手、絵が上手い。
人間関係を築くのが上手、友だちがすぐ出来る、大勢できる。仕事が出来る。
家事が出来る。幸せな家族がつくれる。
こういったものもみーんな、実は善いカルマのお陰のはずですね。
そこまで努力しなくても、子供の頃から身に備わっている才能、善き性格、
そういったものはみな、前世までのその人の修行の成果ですね。
人と上手く付き合う智慧も、同じこと。
同年齢なのに、なぜかそうしたことが得意な子がいる。不思議ですね、わずか5,6年しか生きていないのに。それだけの人生経験で、そーんな智慧があるわけもない。学べるわけもない。
直感的になんとなくわかる、出来てしまう。そういったものは、善きカルマですよ。
悪しきカルマの反対に、前世からもらった善き性格、才能です。
公正に考えても、前世から悪いものばっかり持ってくるわけがないんだから。
この世を見ても極悪人ばっかりではない。心根の善い人、優れたる才能の人がいる。
彼らは転生しても、そうした善い人柄、能力を持って行くことでしょう。
ならば前世から今世への持ち来たりも同じことですね。善いカルマがある。
なのに、悪いカルマばっかり拡大して観るのは、悪いカルマは今世の自分を苦しめ、ダメージを与えるからでしょうね。苦しみのもとになるので、突き止めたい。
一方の善きカルマは、当たり前と思っちゃっている。能力も性格も子供の頃から何となく身に付いてきたものだと思って、当たり前と思っていて、感謝もしないから。
だから普段あまり気にもしないんでしょうね。善きカルマの刈り取りだなんて。
でも、エドガー・ケイシーは、今世の才能は、前世の努力の成果なのだといって、
善きカルマがあるということを教えてくれて、カルマのイメージを一変させました。
自分にも善きカルマがあるはず。前世からもらった善き贈り物。そのことにもっと感謝しよう!