目に見えざる助力。無私なる愛と、感謝の気持ち  「あしながおじさん」に思う | LEO幸福人生のすすめ

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バスを待ちながら、考えた。

 

天に祈り、祈願をしたとき、

守護霊だけでなく、天上界にいる高級霊が助けてくれていたとしても、

どのような手助けをしてくれているの、定かには分からないこともあるのだろう。

 

誰かの病気が治ることを祈願して、その病気が奇跡のように治らなかったとしても、

その人のところへ天使が言ってくれて、神の光を投げかけて、心を癒してくれているかもしれない。

肉体を治すのではないけれど、霊体を誘って、天国を案内してくれているかもしれない。

 

だから、祈願したら、こうでなくてはならない、と人間側の都合で勝手に思って、

それが叶わぬといって、不満を抱いては行けないのだと思う。

 

天使たちは、地上の人が感謝をしなくても、愛を投げかけているという。

無償の愛、無私の愛の、それは修行なのかもしれないし。あちらからしたならば。

 

愛は風の如く。

 

相手とツーカーで話せる状態だったら、見返りを求めたり、恩知らずだ、感謝しろ、だのいって、

愛は風の如くの実践修業は難しいでしょう。

 

天国からの導きは、地上の人からはわからないから、無私の愛が何処まで出来るかが試される。

感謝されなくても、愛を投げかけられるか。

 

感謝してくれる、出来のいい地上人がいたら、天使も嬉しくて、いっそうよく指導してくれるでしょう。

極悪人には、天使の助力は届かないでしょうね。悪霊・悪魔の指導なら受けられるけれども。

 

「あしながおじさん」を思い出す。

 

少女は、姿をあらわさぬ、あしながおじさんの助力を受ける。

あしながおじさんに手紙を書くが、返事は来ない。

 

最後の最後に、あしながおじさんが、なにゆえに彼女を助けてくれたのか。

さまざまなことがようやく判明する。

 

これは、人生を終えてあの世に帰ると、はじめて種明かししてもらえることに、似てないだろうか。

 

あの時、実は助けてくれていたのですね、気付かなかった。

あの苦しい時に、寄り添って支えてくれていたんですね、ありがとう。

 

人生には、隠されていて、見えていないことがある。

教えてくれればいいのに、と思うこともあるけれど、

わからないからこそ、無私なる愛がある。

 

縁の下の力持ち、とか、知らないところで助けてくれている人のお陰とか、

そういう美しい生き方にも、人は学ばないといけないから。

 

自己顕示欲のギラギラしたアッピールではなく、

知られなくても、愛を与えることの喜びを知ろう、そしてそうした愛に生かされていることに、感謝のできる人間となろう!