愛する父娘 or 夫婦であった魂同士の感動の再会 ~ワイス博士『魂の伴侶』より~ | LEO幸福人生のすすめ

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ソウルメイト、魂の伴侶。

深い愛で結び合っている魂同士は、数百年という歳月を超えて出会っても、相手のことに気づくようだ。

 

姿かたちは違っていても、相手がその人であること、その人であったことを、最初はただ漠然と、なんとなく初めて会った人ではないような親近感を感じる。あるいは最初の出会いから電撃的に、そうした直観を感じる人もいるらしい。

 

ワイス博士の三冊目の著書である『魂の伴侶』には、転生を通しての出会いが、実に感動的に描かれている。

アメリカ人の女性エリザベスと、メキシコ人のペドロは、ワイス博士の過去世療法を同時期に受ける、というタイミングの一致がなければ、おそらく今世は会うことも叶わないほどの、そうした立場で生まれていた二人なのだ。

それがまさに、博士の診療所で、二人の邂逅が為されるわけだが … 、

 

二人は過去世において、愛し合う夫婦であった時代もあれば、同じく深く愛し合う父娘の関係だったこともある。

それが、二人の退行催眠であらわれる過去世の姿から、ワイス博士に、徐々にわかってくる。

 

徐々に明らかになってくる、パズルのピースが埋まってゆくように、少しづつ二人の関係性、全体像が見えてくる、というところに、ワイス博士の前世療法の素晴らしい魅力が、実によく著されているものだと、私は思う。

これは神仏が演出した、最高の転生輪廻物語なのではないかと、そう思えてくるほどの素晴らしい感動である。

 

ローマ時代に、ローマ兵の暴力によって、愛する父を失ってしまった、エリザベスの過去世時代の描写。

彼女は、まだ少女であった。父をとても愛していた。父もまた、彼女のことを深く愛していた。

その二人のささやかな幸福を、ローマ兵たちはふざけ半分の暴力によって、破壊し奪い去ってしまったのだった。

 

ワイス博士による著述そのものを読んでもらった方が、臨場感あふれるリアル体験が見事に表現されているので、以下、一部を抜粋引用させてもらいながら、紹介したい。

 

娘の名はミリアム。父の名は、エリ、といった。エリザベス自身がその名を思い出して語ったものである。

 

彼ら( ※ローマ兵 )は自分たちが楽しむためだけに、残忍な迫害の遊びを考案した。そうした遊びの一つが、ミリアムの最愛の父を死に追いやったのだった。

軍人たちは、まず、エリの両足首をロープでしばり、馬に乗った軍人が、彼を馬のうしろに引きずって走った。無限に感じられるような時間がたって、馬はようやく止まった。

 

今度は、二人のローマの軍人が、自分たちの胸のまわりにロープのかたはしを巻きつけると、自分たちが馬になったつもりで、父親をさらに引きずって歩きまわり始めた。父親は急に前に倒れ、頭を大きな岩にぶつけた。彼は致命傷を負ったのだった。
軍人たちは倒れた父親を、ほこりだらけの道に置きざりにした。この一連の残虐な出来事の無意味さは、彼女をやり切れない悲しみにつき落とした。彼女は父親の無残な死に対し、激しい怒りと絶望感を感じた。軍人たちにとってこれは単なるスポーツにしかすぎなかった。彼らは父親がどこの誰か、考えもしなかった。彼らは、父親が娘の小さな切り傷やすり傷の手当をする時の、やさしい手の感触を感じたこともなかった。ろくろをまわしながら彼が話すゆかいな話を聞いたこともなかった。風呂あがりの彼の髪の毛の香りをかいだこともなかった。彼のキスを味わったことも、彼の抱擁を楽しんだこともなかった。彼らはこの穏やかで、愛情深い人物と共に、日々の生活を過ごしたことがなかった。

 

ローマ兵たちは、その武力にモノを言わせて、なんの罪もない父娘の愛を打ち砕いて、父親の命を奪い去り、娘を絶望のどん底に突き落として、それほどの悪事を行ないながらも、なにごともなかったように、その場を立ち去ったのだという。

このような悲劇がいったいどれくらい数多く、歴史上に行なわれてきたことだろう。

 

彼女は血のしみが落ちたほこりまみれの路上で、父親の大きな頭をひざの上に抱きかかえて、体を前後にゆらしていた。彼はもはや口がきけなかった。血が彼の口のはしから流れ出していた。何とか息を吸うたびに、彼の胸が苦しそうに音をたてて鳴るのが聞こえた。死は間近に迫っていた。彼の目の中で光がうすれていった。彼の人生の終りだった。
「お父さん、とても愛しているわ」光を失いつつある彼の目を悲しげにのぞきこみながら、彼女はやさしく彼にささやいた。「いつまでも愛しています」  
彼の目が彼女をじっと見た。そして、わかったよ、とまばたきをして、彼は永遠に目を閉じたのだった。 夕日がその日の終りを告げるまで、彼女は父の体をゆすり続けていた。

 

父エリは助からなかった。彼はふたたび眼を開けることはなかった。

そして娘であるミリアムは、この父を失った悲しみから立ち直ることが出来ず、その後の人生を自暴自棄に生き、そうして若くして、この時の人生を終えることになったという。

 

この時の人生の、その後のことについて何か言いたいことはありますか? と問うワイス博士の質問に、

今世の転生の姿であるエリザベスは、なにもありません、私はあまり長生きをしませんでした。生きたくなかったのです。自分を大切にしませんでした、と答え、若くしてその時の自分は死んだのだ、と締めくくったのでした。

 

あまりにも悲しい出来事 … 。

 

しかして、この先には、途方もない感動のドラマが待っていたんですね。

 

ワイス博士のもとで、同じ時に診療を受け始めた、メキシコ人ペドロの退行催眠。

そこで語られた内容。

 

ペドロが語った、過去世での物語。

自分はローマ兵の慰み者にされ、いたぶられ、命を失ったことがある、と語るペドロ。

名前は思い出せない … 。

ただその最期のとき、愛する娘がわたしを抱きかかえていたことを覚えている。

わたしは娘を残して去りたくはなかった。

しかし、わたしの魂は肉体から離れ、地上人生はそこで終わったのです。

 

その話を聞いた時、ワイス博士は、エリザベスの語った内容との一致に、まったく気づかなったそうです。

他に気にかかることがいろいろあって、それゆえ、二人の体験が同じものである、ということに気づかずにいたそうですが … 

 

それはある日の晩、急にやって来た。「エリ?」その名前を私は自分のオフィスで、エリザベスから何週間も前に聞いたことがあった。
その日、はじめ、ペドロはその名前を思い出せなかった。催眠トランス状態で、彼は古い時代の彼の人生に戻っていた。それはすでに一度、私のオフィスで思い出したことのある人生だった。その人生では、彼は革の服を着た軍人たちに引きずられ死んでいた。彼の命は、愛する娘のひざに頭をのせている間に尽きたのだった。そして娘は絶望にうちひしがれて、体をゆっくり前後にゆすっていた。
おそらく、その時代から、まだ学ぶべきことがあるのだろう。もう一度、彼は娘の腕の中で、命が尽きてゆく自分を思い出していた。私は彼に、娘の顔をもっとよく見て、目の中をのぞきこみ、知っている人かどうか調べるように言った。
「いいえ」と彼は悲しそうに答えた。「私は彼女を知りません」

 

メキシコ人ペドロは、ローマ時代の自分、エリが命を失う時に、自分を抱きかかえてくれた娘ミリアムの、その目をじっと見入って、それが現世においてすでに知っている誰かの前世であるかどうかを、読み取ろうとした。

 

しかし、この女性をわたしは(今世はまだ)知りません。会っていません、知らない人です、と答えています。

自分の名前も思い出せない、と語るペドロに対して、ワイス博士が言います。

 

「自分の名前が思い出せません。何も浮んできません」
その時、何かが私の心に浮んできた。まるで音のない爆発のように、急に私の心にはっきりとあざやかに飛びこんできたのだった。
「エリ」と私は大声で言った。「あなたの名前はエリですか?」
「えっ、どうして知っているのですか?」彼は大昔の深みの中から答えた。「そう、それが私の名前です。エウリと私を呼ぶ人もいます。エリと呼ぶ人もいます……どうして知っているのですか?あなたもそこにいたのですか?」
「わかりません」と私は正直に答えた。「ただ、心に浮んできたのです」


この時、ワイス博士にインスピレーションを与えたのは、博士の守護霊でしょうか、ペドロの守護霊でしょうか、あるいはエリザベスの守護霊かもしれません。もっと高次の立場から、二人の出会いを導こうとしている、マスターたちであったかもしれませんね。

 

こうして、二人の過去世は交錯するのですが、そしてワイス博士はそのことを知ったわけですが、

まだ、エリザベスはそのことを知らないし、ペドロもまたそのことを博士から教えてもらいはしないのです。

 

守秘義務!

 

それぞれの患者のプライバシーを守らねばならないという、医者としての守秘義務を超えて、両者のプライバシーに踏み込み過ぎることは、医者の倫理として許されていない。

たとえ退行催眠で出て来た過去世の話だからといって、それを当人たちが信じる信じないは、信条の自由であるのだけれども、それを互いに見ず知らずの人に対して、博士が介入してあれこれと情報を横流しすることは出来ないのだと博士は言う。

 

では、二人の運命はこれからどうなるのか。どうなったのか。

 

同著書を最後まで読めば、その結末がわかります。ぜひ読むべきです、未読の方はぜひ。過去に一度読んだことのある人であっても、詳細を覚えていないのなら、もう一度読む価値は十二分にあるはず。

 

そう思って、ふたたび『魂の伴侶』の紹介記事を書いてみました。

 

神さまの愛、わたしたちを慈しんでくださっていることへの感謝、感動。

そうして、転生輪廻の不思議、縁ある魂同士の再会、別れの悲しみだけでなく、再会できる喜びがあることによって、この世の悲しい別れであっても、それを償うに十分の喜びがまたあるのだということを、学ぶことが出来るのだということを教えてもらえる、そうした名著だと思います。