見習い期間の志願者やチェーラ(※弟子のこと)に要求される唯一の不可欠の条件は、ただ選んだ大師と大師の目的に揺ぎなく忠実であれということである。これは必須条件である。
偉大なる導師に弟子入りした人間が、みずからに課すべき唯一のことは、自分が選んだ大師に対して、ゆるぎなく忠実であること、そうして、その大師の目的、すなわち説かれることに対しても、ゆるぎなく忠実であること。
そう、ブラヴァツキー夫人は述べているのであろう。
インドに渡り、仏教を深く学んだブラヴァツキー夫人ならではの、きわめて仏教的なる主張がここに現れていると、わたしは思う。
弟子として、みずから従って学ばせてもらおうといって、弟子入りした人間であるならば、
その師匠とも言うべき大師に対して、揺るぎなく忠実であること、大師の目指す目的に対しても、みずから仕え、弟子としても、その目的達成に向けて努力すべきこと、揺るぎなく忠実であるべきこと。
これは、三宝帰依における、仏への帰依、仏の説かれる法への帰依、と実によく符合する、弟子のあるべき姿、ではないかと思う。
ブラヴァツキー夫人が、弟子たるものの採るべき態度として、大師への忠実さ、大師の目的に対しての忠実さ、の二つを挙げていることは、とても重要なポイントではないかと思う。
ある意味、これは弟子道の本質そのものではないか、とさえ思う。
嫉妬の気持ちからこう求めているのではなく、単に両者の磁力的絆がいったん切れたなら、その度に、それを新たに確立することの難しさは倍増するからなのである。
しかも大師方は、ある人が未来にどのようなコースを取り、最終的にやめてしまうかなどのことを簡単に予見できるケースがよくあるので、そのような人のために力を出すことは正当ではない。
しかし、いわば「先取りの特権」を期待する者にそれを授けられない時、謙虚に自分の誤りを認めずに、大師の利己主義と不正を責める人がいかに多いことか。そのような人は一年に一〇回も自分と大師とを結びつける糸を故意に引きちぎり、しかもそのたびに、昔の絆に連れ戻してもらおうと思っているのである。私はある一人の神智学徒を知っている。彼の名は伏せておこう。
師への忠実、師が願う目的に対しても、忠実であるべきこと。
なぜ、そのような従順な姿勢が必要となるのだろうか。帰依の姿勢が必要不可欠なのだろうか。
ということの理由を、師と弟子の関係は、いったん切れてしまったら、これをふたたび結び合わせることは、きわめて難いからである。と、ブラヴァツキー夫人は述べている。
師に弟子入りをし、弟子としての道を歩みます、と決意し、それを約束したにも関わらず、
自分勝手な理由によって、離反し、退転してしまって、師との契りをみずから引きちぎった者が、ふたたび元の関係をそう簡単に取り戻せると思ったら、これは大間違いの甘えである、ということだろう。
捨てたのは自分の方であるならば、ちょっとばかりの謝罪でもって、そう簡単に、元の師弟関係に戻れるわけもないであろう。それではあまりにも図々しい、と言うしかないのではあるまいか。
師が偉大なる存在であるならば、その師の愛は、弟子の勝手を許してくれるほどの包容力を持っているかもしれないが、だからといって、そこにすがって安易な許しを求めるようでは、その弟子の心、きわめて甘い心にすぎないのであって、そこに真の反省と後悔はあるのか、というチェックが必要と言うべきだろう。
後半のくだりにあるように、
自分の誤りを、謙虚に認めることもせずに、師のことを責める人間が、いかに多いことか、と述べている箇所がある。
自分の責任ではなく、師が悪い、師が自分勝手なことをしている、利己的な行動を採っているから、わたしは離反したのだといって、自己を正当化し、師が悪いのであるといって断罪している。
こういう人物は、わずか一年のあいだに、10回も、自分と師の関係を、勝手に引きちぎって別れたり、ふたたび戻ってきては、元の絆を戻してほしいと、甘えたお願いをするものだ、との指摘もある。
これを聞いて、どこかであったな、こんな人物の話、と思うことは無いであろうか? わたしは、まるでここで述べられいること、そのもののような事件を知っているのだが、そのことを思い浮かべる信者は数多いのではなかろうか。
最初に彼は申し出て、見習いとして受け入れられ、チェーラ(※弟子)の誓いを立てた。大師の肉体的存在を証明するいくつかの親切を施されたにもかかわらず、約一年後に突然結婚をする考えをもった。しかし結婚の企てに失敗するや彼は、他の方面に「大師」を探した。そして熱狂的なバラ十字会員となった。次に、キリスト教神秘家として神智学に戻った。そしてまた、自分の禁欲生活を妻によって活気づけようとした。次に、結婚の考えをやめて、心霊主義者になった。そして今は、もう一度「チェーラとして戻してもらう」ことを申し出たが(私は彼の手紙を持っている)、大師は沈黙したままであったので、彼は大師を完全に捨て、前記の声明書の言葉でいえば、昔の「エッセネ派の大師」すなわちイエスの道を探し、「その方のみ名において霊を試みる」つもりである。
神秘思想が大好きな人間であったが、愚かな熱狂と短気によって、師と、師の教えについての自分の考えを、コロコロと変えて憚らない人間がいたと、ブラヴァツキー夫人はここで述べている。
ある時は激しく熱狂し、しかして短気なために、すぐに満足がいかなくなって、今度は一転して冷めた目になって、批判的になったりと、そういう自己都合によるコロコロと態度を変える人間について、ブラヴァツキー夫人は述べているのである。
見習い期間を経て、弟子の誓いを立てて、本格的な弟子道に歩みをすすめた、とある。
しかしてその後すぐに、自分の私生活の方に熱中して、教えに学ぶことは二の次になったのであろう。
しかして、私生活の方で失敗すると、今度は別のところに、何かスゴイ先生はいないかといって、探し求める。
最初の師の教えを、真剣に、命懸けで学ぶこともせずに、世俗の問題でフラフラとし、しかして、そちらで上手く行かず失敗すると、また何か学ぼうと戻ってくるものの、元の師ではなく、別の師にこそ本物がいるのじゃないかと、またもやフラフラと定まらぬ放浪を繰り返して、薔薇十字会の一員となったり、はたまた、キリスト教の神秘思想に走ったり、ところがまたもや変心して、神智学に戻ってきたりという節操の無さ。心霊主義者にもなったり、とある。
もう一度、弟子として復帰したい、と申し出たものの、師は沈黙したままでこれを受け入れず、仕方が無いので、この人物はかつての師を完全に捨てて見限り、今度はイエス・キリストの教えに学ぼうといって、キリストの名において霊についての探究をする「つもり」らしい、とある。
ブラヴァツキー夫人当時においても、神智学にいったんは入るも、あっちへフラフラ、こっちへフラフラの宗教ジプシーのような生き方をして、最後には、キリスト教の信徒になろう、といって彷徨っていた、かような人物が現実にいた、ということでしょう。
このような生き方をしている人物が、果たして既存のキリスト教の教えに触れて、聖書を読んだり、さまざまな解説書を自己流で勝手に読んだとして、果たしてどの程度の悟りを得られるかといったら、
きわめて怪しいだろうな、と思わざるを得ませんからね。
大師は沈黙でもって答えた、とある、この大師というのは、神智学協会の創始者たるブラヴァツキー夫人を、指導していた偉大なるグルたち、という位置づけですから、そうした大いなる霊的指導者の目から見ても、この人物の復帰願望に、否、沈黙でもって答えられた、というところに、この弟子の歩んでいる道の危うさが、歴然と示されているのではないかと思います。
この弟子は、キリストの教えに頼って、キリストの教える道を試みる「つもり」である、と書かれている。
当人が、いくらその「つもり」であっても、真実のキリストの道を、そのような独りよがりの歩み方で、どれほどの確かさでもって、歩むことが出来るであろうか。
もし、その道を正しく歩むことが出来るような人物であったなら、この弟子の復帰願いに対して、沈黙で答えることなどなく、復帰を許されたのではないかなー、と私は感じた次第です。
この弟子の歩む道は、最初に、師に出合って、師弟の契りを結んで、その道をただひたすらに歩んだ場合の人生と比べたら、遥かに厳しい茨の道となることでしょう。
みずから、素晴らしい道があることを最初に知りながら、これを自分の意志で捨てたのですから。
師と弟子の関係を、自分の方から断ち切って捨てたことの責任は、当人が受け止めるしかないのであって、いったん切れてしまった深い師弟の契り、誓いというものは、そう簡単には取り戻せませんからね。
ここには非常に深く厳しい、弟子としてのあるべき姿が、描出されているのではないかと、思うのです。