ジョン・レノンの霊言、文学者たちの霊言、を読む | LEO幸福人生のすすめ

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トルストイとジョン・レノンの共通点。

世に出た才能(文学・音楽)に拠って生涯をつらぬくのではなく、その世界を超えて、さらに上位にある宗教の世界へ入っていった、ということ。ここが同じだな、と霊言を読んでいて思いました。

トルストイは、文学で大を為して、名声を欲しいままにしていたのに、そんなことに意味があるのではない、といって、

人間とは何か、人は何で生きるのか、神と人間、信仰と愛とは何か、という探求に、魂の全力でもってぶつかっていったのでした。

ミュージシャンとして世界的な名声を得たジョン・レノンもまた、オノ・ヨーコさんとの出会いを介して、宗教的なる世界へ入っていったのだとか。
そして霊言では、そうした世界に目を拓かせてくれたオノ・ヨーコという女性が、自分にとっていかにかけがえのない存在であったか、ということを述べてくれています。

宗教というのは、本当に大切なもの。人が生きる指針を教えてくれる、神さまが何を人間に期待しておられ、人間はどのようにして神さまと向き合い、生きてゆくべきなのか、ということを教えてくれる。

もっとも大切な学びが、宗教の世界に入ることでもって得られるのだ、ということ。

だから、パスカルが科学の世界で名を成したのに、若い晩年に、キリスト教への信仰に全力を費やすようになったように、宗教的回心、というものが偉人の生涯にはあるのだと思います。

トルストイは「文読む月日」で、パスカルの箴言をいくつも取り上げて紹介していました。

それからニュートンも、科学の大発見を次々に行ったあと、晩年の人生は、宗教世界へ深く入っていったそうですよね。
若くして、宇宙の原理をいくつも発見したニュートン。そのニュートンが、その後のいっそう成熟した自分の思考でもって目指したのは、宗教的なる世界の探究であった、ということ。

偉大なる人は、晩年に至るほど、神の世界、宗教の世界へとしっかりと向かってゆく。真に大切なものは何であるかを感じ取れる魂であるのなら、当然そうなるべくして、その道へ進むのだと思いますね。


ジョン・レノンの霊言の話に戻りますが、

ジョン・レノンは傍から見たら自由奔放に生きているようでいて、しかしそれは世の中でふつうの人間がやっている自由気ままがいい、という意味での自由とは違うのだ、ということを述べていました。
自己中な自由ではないし、好き勝手に生きるという意味での自由ではない、とのこと。

この観点のはなしを聞いていると、やはり本当の、光の側に立っている魂の言う自由はちがいますね、深いですね。

それからまた、多くの人に好かれ、大勢のファンがついてくるというのは、それだけ多くの喜びを与えているから、それだけ多くの人を愛しているから、そうなるのだ、ということ。
これは逆を言うと、愛する気持ちがないようだったら、誰からも顧みられないだろう、ということでもあって、

だからやはり、愛を与えることの大切さですね。多くの人に対する愛があるということ。これが大切なのであって、自分が素晴らしい人生を生きたいと願うのだったら、いかに多くの人を愛せる人間になるか、そのための魂の磨きを為すか、ということは抜きがたいんでしょうね。

 

 

つづけて、文学者たちの霊言も読んだんですが、

ここでも自由の話が出てきていました。自由といっても、好き放題やっていいじゃないか、みたいな考え方で生きている人の自由は、地獄行きなんだな、ということがあらためてよくわかりました。

好き放題にしたい自由なんていうのは、単なる自分一個のワガママにすぎませんからね。先の、多くの人への愛に生きる、そういう思いがあって、なお自由に生きたジョン・レノンの言う自由との違い。

天国に生きる自由と、地獄に落ちる自由とでは、同じ自由という言葉であっても、その意味合いが違っているのがわかります。
本当の意味での自由をつかむことが、大切なんでしょうね。


ちなみに、わたしも大学時代はカラヤン指揮のクラシックばかり聞いていたので、車に置いてあるのはクラシックのテープばかりが9割くらい。けれどもなぜかそこに、ビートルズのベストが混ざっておかれていました。いいチョイスだよねぇ?(笑)