自分を変えること 人間関係力の重要性 | LEO幸福人生のすすめ

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自分を変えること。

自己変革を実行するためには、自分に厳しくないといけない。
自分に甘いようでは、自己変革はきわめて難しい。
自分に甘いタイプは、今までとは違った負荷が少しでもかかると、やっぱり現状維持で今までの自分のままでいいかな、みたいな感じで、すぐに元に戻ってしまったり、努力を放棄して安楽な道を選びがち。

慣性の法則が働くので、今までの自分のままの方が気が楽だし、疲れないし、ということで、それを突破して自分をさらに磨きあげて変えてゆくというのは、よほどの覚悟と根性と、自己変革の意志が必要なのだ。

50歳を過ぎると、人は「有(う)」の状態になってしまって、そうそう自分を変えることは出来なくなる、という。
50年もの間、その生き方、考え方で生きてきた以上、その性格や傾向性はかなり凝り固まって固定化しているのだろう。だからそれを根本から変える、だとか、違った傾向性に変化させる、などということは、そうそう出来ることではない。
不可能ではないけれども、よほど覚悟をきめて、根性を入れて努力しなければ、変わるものではない、と思っていた方がいい。

若い頃の自己変革は、努力すれば可能だろうし、年齢が行ってからの変革よりも、若い芽のうちに、自分の欠点なり、悪しき傾向に気づいたら、早々に直しておいた方がいいのだろう。

そこまで厳しく自己観察をしたり、自己変革の努力をしないことが多いので、たいていの人は転生輪廻の結果というか、業のくびきから逃れられず、前世の傾向性のままに生きてしまうのだろう。
いままでの惰性、慣性のままに生きてしまうことの悲しさ。

善い傾向性なら、変える必要はないだろうけれど、
未熟な点、間違った考え方、行動パターン、こういったものは、やはり厳しく自己チェックして、あらためるよう努力しないといけない。
そうでないと、劇的にみずからの魂をステップアップすることは能わず、なのだと思う。


それから、人間関係力の大切さ。

人は独りでは生きられない。どれほど勤勉で賢いように自分を思っていたとしても、他者との交流を欠いた生き方は、どうしても偏っていきがちで、知らず知らず独りよがりの世界に入り込んでしまう。
自分を客観視しているつもりであっても、自分に対する身びいきはどうしても抜きがたく、他者からの厳しい批判や注意を欠いた独覚の世界に入り込んでしまうものだ。

多くの人と親しく交流すること。協調的な性格を身に着けること。オープンな心でもって、多くの人と相和して生きることの大切さ。
そもそも、そうした生き方が出来なければ、他の人のために生きる「利他の人生」を生きることが出来なくなるではないか。
他の人のために生きるためには、他の人と親しく交わり、他の人を愛し、他の人から慕われるような、そうした生き方をしたいものだと思う。

他の人との対話のなかで、真理の学びもさらに深まり、広い視野に立つことが出来るし、自分とは違った考え方や行動の仕方があることを、体感的に理解することが出来る。
読書のみでは学べないこと。実際に、目の前にいま生きている他者を持ち、その人とリアルに対話をすることの大切さ。これは一方的なる学びでは得られない体験であって、相互に影響し合うなかで、たがいに学び合うという関係性ですね。これが大切なのだということ。

自分の考えがそのままでは通じなかったりする。その場合どうするのか、どうやって相手に伝えるのか、相手に合わせることの重要性、そのための努力、そこから得られる学び。
あるいは反対に、相手の言うことをそのままでは理解できない場合、さらなる説明を求めたり、いっそう細かな会話を通じて、ようやくにして理解し合えるようになる、といった対話による相互理解の進め方。

読書は大切だが、これはすでに在る書物の内容を、読み手が一方的に読む世界であるので、独りよがりの勝手な解釈に陥っていることも多いし、著者がその場にいて、その理解は違っているよ、正しくはこうだよ、ということをその場その場で教えてくれるわけでもないので、独りよがりに陥る危険性はどうしても伴うものなのだ。

同じ本を、友だちと一緒に読んで、その理解を伝え合う、語り合ってみる、だとか、そういう作業が要るのだと思う。

人間関係を広く、そして親しい関係性を結ぶ、というのは、自分自身の魂の器を広げるためにも、どうしても必要不可欠なことであるし、これを欠いた孤独な世界では、どうしても袋小路に入り込んでしまうに違いない。
そこから出て、自分の考えを述べてみたまえ。他の人に受け入れられるかどうか、支持されるかどうか、すばらしいと言われるような意見を言えるかどうか。

独りよがりの世界に陥っていないかどうかは、他者との交流によって明らかになる。

他の人のために尽くすこと。他の人に奉仕すること。他の人への愛に生きること。愛のために生きること。
マザー・テレサは、すべての人に仕えるために自分は在るのだ、といったことを述べていたと思う。
自分が偉い立場に立って、他の人に恵みを与えるという気持ちではなくて、自分は他の人に仕える、奉仕するといった、謙虚な気持ちで、多くの人への愛に生きたのだと思う。
そうした謙虚さ、奉仕の愛、決して高ぶらない、自分を偉しなどとは思ってもいない、ひとりの人間としてささやかな愛の積み重ねに生きる、という、その生き方こそが素晴らしい。
キリスト教の真髄の中に生きた人たちは、そうしたところが素晴らしいと、わたしはいつも思うのだ。