お金にまつわる自分の過去を振り返る

 

こんにちは
オールドソウルの
ふるたまあやです

リベ大の学長
筋肉ライオンさんに出会って
『経済的自立』ってヤツを目指してるんですが
実は自分はもうとっくに
自立 出来てると思ってました

 


ワタシの母親は
「アナタのためを思って…」という大義名分を武器に
子どもを支配しようとするヒトでした
「何が欲しい?」と訊かれて答えても
母が気に入らないと別のモノを買って与えられてたし
将来の夢も
「アンタはフラワーデザイナー(父の職業)な」
と言われてたので
将来ナニになりたいかなんて
夢を見るようなコトもありませんでした

ワタシが中学に上がる前
母親が家の1階でやっていた美容室を畳み
約2年後だったか…父親が花屋をやっていた
神戸に引っ越すという話が持ち上がりました
そのため母は人見知りのワタシが
転校するコトで寂しい思いをしないように…と
引っ越した先からも通える
私立の女子校を受験するように言いました

でも当時 中学校受験をするなんて
特別成績の良いコや裕福な家のコしかいないし
しかもその頃ワタシは
女子特有の陰湿さや「つるむ」文化に辟易しており
女子しかいない空間で過ごすコトの方が
転校するコトよりもよっぽど不安で

勉強時間を増やしてまで行きたくない!
フツーのコと同じ公立中学に行きたい!


そう思い勇気を出してイヤだと言ってみました
すると
じゃあ好きなようにしなさい…と

 

 

「お金は出さへんで」


半ば脅しのようなこの言葉を聞いて

ワタシはその時しっかり悟りました



親に養われてる間は自由がない


ずっとイイコちゃんで生きてきたワタシは
結局キチンと受験して合格し

自分の描いていたスクールライフを打ち砕く

全く好きになれない学校でしたが
氾濫を起こすコトなく8年間通いました
外部の大学を受験する…という手もありましたが

頑張って受験勉強をするより
ワタシはとにかく早く社会に出て働きたかった
なのでエスカレーター式で入れる短大の
いちばん学費のかからない学部に進みました

文句を言われずにお金を出させるという

腹黒い打算ですね

その間も家業の花屋で経理のバイト
丼勘定はイヤだったので
当時の相場よりも少ない時給を自ら設定し
それでも勤労学生控除を受ける程
めちゃめちゃ働きました
そのお金で簿記とワープロの資格を取り
そういえばその頃わりと流行ってた
中期国債ファンドで貯蓄を増やしたりもしてたな
で、東京の会社に就職して一人暮らし

最初の経済的自立でした

 



とは言っても
入居の初期費用や引っ越し代
布団や冷蔵庫など
最低限 生活出来るくらいの
家具や電化製品なんかの費用は出してもらってました

 

自由をある程度封印すれば

養ってもらえる


逆もまた真なりという…

これまた打算だったんですが

そこで起こったコタツ布団事件(←盛りすぎw)

母がワタシのために 勝手に 良かれと思って
コタツセットを買ってくれてたんですが
それがあまりにもワタシの好みと違ってて…!
狭い部屋の中心になるコタツが
気分の落ちるモノなんて考えただけでユウウツで

かなりの勇気を持ってお断りしました!

その時のコトはあまり覚えていませんが
妹がそれを引き取り、使ってくれてたように思います
私のは結局
やれ大きすぎるだの
やれ柄が気持ち悪いだの
いろいろと文句を言われながら
別のモノを買ってもらいました

電話(当時は高かった)やテレビなんかは
ローンを組んだりして自分で買いましたが

母の意見を覆して欲しいモノを買って貰った

というコトの方が
ワタシにとっては自立を感じられましたね


東京での生活はバブル期真っ只中で
とても忙しく華やかでしたが
ワタシは元ダンナと遠距離になってしまったので
電話代などがかさみ
自由に使えるお金はごく僅かでした
キャッシングも結構使ってましたし
少ない中でやりくりするのが当たり前になってました

それから3年程で地元に戻り結婚
小さい頃から憧れだった
サザエさんのような家庭を目指し
専業主婦になりました
モチロン財布の紐は握ってましたが…
元ダンナの度重なる


無断欠勤・失踪・失業・転職

で家計は安定せず
それは子どもが生まれても
義父と同居するコトになっても
なくなるコトがなかったので
ワタシは子どもと3人で家を出ました

これが2回目の自立です


お金…というより母の話っぽくなっちゃいましたが
ここで一旦切りますね


 

 

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