歌いながら気持ちよく歩いていても、前から人が来るとつい声を潜めてしまう。

 見知らぬ人に歌声を聴かれるのはやっぱりちょっと恥ずかしい。どうしてだろうか?

 歌はとてもプライベートなもの、言わば家用のもの 部屋用のインナーとか お風呂とか 散らかったキッチンとか そういったものと同じ世界に属するもの。そう感じる人も多い。

 自分の歌はちっともうまくないし 恥ずかしい みっともないと。

 しかし 僕は歌いながら歩いてる人を見て 悪い気がしたことはない気がする。

 これは上手い 下手 関係なくだ。

 正直 カラオケでは 乃木坂を裏声で歌う男の友人の歌に疲れることもある。これは仕方ない。
 罪悪感は持たないぞ。

 でも、道ですれ違う 歌声にそれはない。

 確かに一瞬だからというのもある。

 その一瞬聴こえる 歌声とか ハミングが自分を元気付けてくれることは前から気付いていた。

 その理由も最近わかった気がする。

 歌は昔から求愛や 宗教的な儀礼 コミュニケーションの手段として使われてきた。

 それは基本的に つなぐもの なのだ。

 歌いながら戦うこと、破壊することは容易ではない。

 そりゃ歌には 深い悲しみや怒り 恨みを歌ったものすらある。
 クイーンのボヘミアンラプソディーの歌詞を読んでると 心臓を鋭いものでつかれてる感じがする。

 でも それらは歌として表現された時点で、破壊性を越えたものにシフトしている。

 だから歌ってる人を 見ると 無意識が安全性を感じる。
 この人は 今 つなぐ状態 開いた状態にいるんだと思う。

 すれ違う歌声が 僕を安心させてくれるわけはこれだと思う。

 歌うことは 害意がないという かなり明白なサインになるんじゃないだろうか。

 そのことに気付いてから僕は 見知らぬ人に歌声を聴かれるのは 恥ずかしいけど いいことかもしれないな と思うようになった。

 無数にすれ違う見知らぬ人の 一部からかすかな歌声が響いてくる。そうしたら ぎすぎすして周りは敵ばかりに思える心がやわらぐこともあるかもしれない。

 だから 前から見知らぬ人が歩いてきても なるべくボリュームを落とさず 誰かの耳に届ける勇気をもっていいとおもう。

 きっとあなたの歌声を聴いて 少しだけ元気になったり 微笑みが戻る人がいるはずだから。

 僕も声を潜めない練習をしている。