僕は初めて聴いたときからオスカーワイルドの『幸福の王子』の話があまり好きではない。
美談かもしれないが 何もかも与えつくして 朽ちた 王子の像と その使いとして働き死んだつばめの話は 子供の頃の僕に 不気味で陰惨なイメージを与えた。
自分を殺すことを美徳とすることへの 反感のようなものかもしれない。
なにより王子に付き合わされた つばめがかわいそうに思う。命のない像(魂の宿る?)の慈善が 命ある鳥を殺したように感ずるのだ。
多分生きた王子と ツバメの話ならもう少し 好きになれたと思う。
最初から生きてもいないぼろぼろになった像と 死んだつばめは等価じゃない。
金やルビーを差し出すことと命を差し出すことは違う。
正直、王子なんか放っておいてつばめにはエジプトに行ってほしかった。
でもツバメは 貧しい人を助ける、という王子の慈善の手助けをせずにはいられなかったのだろう。
自己犠牲。
その思いは尊いものだけになんだか モヤモヤする童話だ。
とにかくツバメが可哀そうだ (またそこに戻る笑)
王子もツバメも天国に行ったといわれても、どうも納得できない。
自己犠牲と言えば、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の中にもたくさんの自己犠牲が描かれている。
みんなの本当のさいわいのために私の命をお使いください、と願い星になったさそりの火。
みんなの本当のさいわいのためなら僕の体なんかひゃっぺん焼いてもかまわない、という境地に至るジョバンニ。
そして、友の命を助けるために 川に飛び込みおぼれたカンパネルラ。
銀河鉄道の夜を読むと、宇宙的な愛のコスモロジーを感じる。
自己を犠牲にするより前に 自分を愛すること 受け入れることが先だとは思うけど、そこに描かれてるものは美しいと感じる。
悲しみと愛とがバランスしている感じ。
みんな可哀そうだけど みんな救われてる そんな感覚を与えてくれる。
もしも、ツバメになるなら、僕は王子は放っておいてエジプトへ飛んでいく。慈善よりもピラミッドが見たい。あたたかい世界に行きたい。
しかし、ジョバンニになるなら 自分も 彼と同じ心境になりたいような気がする。
扱うテーマは似てるのに、これはとっても不思議なことだ。
まあ、単に好き好きかもしれない。