どんな「私」で世界を見ているかで、体験が決まるとしたら。 | space-jupiterのブログ

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こんにちは。

この前「自分」が揺さぶられることを体験したと書きましたが、
そのことで、自分だと思っていた自分が、本当に自分なんだろうか。
そんな疑問がフツフツと沸き上がって来ました。

もしも自分だと思っている「私」が単なる、自分が自分はこんな存在だと思い込んでいる自分の記憶の束で出来てるとしたら?

あなたは自分の記憶力に自信がありますか?

私は言っちゃぁなんですが、自分の記憶力に全く自信がありません。

人の名前を覚えることは、壊滅的になりつつあるし、映画の内容どころか、その映画を見たかどうかさえ怪しいこともあって、
自分大丈夫なのか。

そんな不安にかられることも時々あって、少しどきどきする位です。

それなのに、それなのに、どうしたわけか自分が体験して来たことの記憶だけは、100%間違いが無いと決め付けていることに気付き始めています。

心の学びをして行くと、どうしても小さい頃の自分の体験を見て行くことになります。

赤ちゃん時代はもちろん、子供の頃はその時自分が生きている環境で暮らす選択しか無いと思って生きていますよね。

私の場合は両親の元で暮らす以外の選択肢があるなんて夢にも思いませんでしたし、
(とは言え、物語に出て来るような、今の両親は育ての親で、本当の両親がある日突然現れて、私を夢のような別世界に連れて行ってくれるかも。なぁーんて妄想もしていましたが)
ここで生きて行くしかないし、親に本当に嫌われたら大変だと思って生きていたと思います。

それは無意識に親に本当に嫌われたら、死んでしまう。
そう思ってサバイバルしていることになりますよね。

育ててくれた親との関係性を小さい頃に親から理不尽に怒られたこと。
甘えたい時に無視されたこと。
ただ肌に触れて安心したかっただけなのに、邪険に扱われたこと。

私の場合、抱きしめてほしいと思った時に抱きしめてもらえなかったことが、深い傷になっています。

この傷があるから、私は人と向き合う時に、やっぱり今度も拒否されてしまうんじゃないか。
その恐れの原因は、幼い私の傷のせいだと。

でも、ふと思ったのです。

そりゃ、確かに間違いなく抱きしめてほしいと思った時に抱きしめてもらえなかったことはあっただろうけど、
抱きしめてもらえた時もあったんじゃないの?
と。

そもそも抱きしめてほしいと親に伝えたことってあったかな?
と。

そう考え出すと、可哀想な小さな私を前提として、可哀想な小さな私は疑いようのない事実として決めてるけど、それ本当に本当なの?
と。

自分が自分だと思い込んでる自分は本当なのか?
そんな風に自分を揺さぶられることは、実はものすごいます。ギフトなんだと感じ始めています。

あなたの記憶は本当ですか?