航空協会主催の『日野、徳川両大尉の初飛行をめぐる考察』と題した講演会に行ってきました。
『日本における飛行機の動力飛行は1910年12月19日の徳川大尉が最初だったとされることが多いが、同年12月14日の日野大尉が最初だったとする記述もある。
果たして事実はどうだったのか。そして、なぜそのような「混乱」が生じたのか、を航空遺産継承活動の中で再確認した資料で考察する。(案内ポスターから抜粋)』
『混乱』という言葉が、この時代に興味のない私には大げさに思えるのですが、確かに二説あるのはどうしてなのか?という疑問は私にもあり、出かけたというわけです。
講演者は当時報道した各紙の新聞記事を克明に調べ、一つの結論を導きます。
それは飛行高度、飛行距離は目視であったとしても日野大尉の14日に飛行したことは間違いないということです。
<ネット 日本・民間航空の曙より>
それが日にちがたつにつれ微妙に変化し、僅か5日後の19日に徳川大尉が飛んでからはこちらが初飛行とする記事が多くなり、下の錦絵も徳川大尉の名前が先に記されています。
<ネット ジャパンアーカイブスより>
なぜこのような変化になったのかについては具体的・客観的な資料がなく、二人を取り巻く関係者の地位や発言、記述、陸軍発行の書籍等の状況資料から推測することしかできませんが、日野大尉の初飛行はすっかり鳴りを潜めてしまいます。
それが再び持ち上がるのは、終戦により口を閉ざしていた関係者が声を上げたことから日本最初の動力飛行が二説に別れることになります。
<ネット 航空/宇宙 所沢航空発祥記念館より>
約一時間の講演内容を短い文で語るには無理がありますが、公演の最後に「どちらかが失敗したら飛行機の運用性は疑問視され、導入はもっと遅れたことは明らか。日野・徳川両氏が飛行に成功したからこそ日本の航空界が発展したことは間違いない。」
という言葉が印象的でした。
帰宅後カミさんに聞いてきたことを話したら「そんなのどっちだっていいじゃん。佐藤さんだってかまわないもん」と一刀両断!
おっしゃるとおりです^^
