占領期間中、米軍は独立記念日や軍の記念日に盛大なパレードを行いました。
横浜地方裁判所前には司令官などのために観覧席が設けられ、沿道では多くの米兵や家族、日本人が見物しました。
これは占領軍としての威信を日本人に見せつけるものでもありました。
今回は撮影された場所が分かるように番号をふりました。
矢印は撮影方向です。
まずは①から。
伊勢佐木町を通り、吉田橋を行進する米軍部隊。
正面の通りが伊勢佐木町で、はるか遠くまで行進がつながっているのが分かります。
日本人の姿も見られますが前列は全て米兵が陣取っています。
また先頭は次の通りである、馬車道にさしかかっています。
昭和の横浜より>
高い場所からは撮れませんでしたが、同じ位置から見た吉田橋と伊勢佐木町の正面。
川は埋め立てられ、上には根岸線が通りました。
埋め立てられた川底は東京へ続く高速道路になっていて、左上には吉田橋の標識が貼られています。
てんじょう部の幅が吉田橋の幅です。
今回の写真から野沢屋だけでなく、このBAZARと看板が出ている伊勢ビルが写っていることが分かりました。
その伊勢ビルは今も健在で、アーチ形の窓もそのままです。
パレードは馬車道を通り、海岸通りに出ます。
その海岸通りをパレードするのが②の写真です。
第8軍司令部が入った横浜税関から撮ったもので、右上に見えるのが神奈川県庁です。
このあと右に曲がり、日本大通りに入ります。
昭和の横浜より>
さすがに税関の上から撮ることはできなかったので、左端に見える半円柱のでっぱりと県庁を入れてみました。
パレード写真の左下に半円柱の出っ張りが見えています。
最後の写真が③で、いよいよパレードは日本大通りに入り、お偉いさんたちが待つ横浜地方裁判所前(左側に石?を積んだ壁が見える)を通ります。
後ろには神奈川県庁のシンボルが見えています。
制服が米軍ぽくないので、連合国軍として他国からも参加していたのかもしれません。
昭和の横浜より>
イチョウの木が大きく成長し肝心の県庁は見えませんが、横浜地方裁判所の石?を積み重ねた壁は隙間から垣間見えます。
こうしてパレードの進行方向に従って追っていくと、大体のコースが想像できます。
またこれだけの人数ですから集合、解散もそれなりの広さがある場所を考えると、飛行場周辺がスタート。
ゴールは横浜スタジアム(接収時はルー・ゲーリック メモリアルスタジアム)ではないかと想像するのですが・・・。
社会人なりたての頃、先輩が「斑鳩の里の道を歩きながら、いろんな身分の人が歩いたんだろうなぁと、当時の人々に思いをはせるんですよ」という言葉を思い出しながら、私も占領下の横浜にタイムスリップしていました。










