今日は昨日の続きでベトナム戦の頃はどうだったのかを確かめるため、友人M氏のデーターから探してみました。
まずはNKのF-4Bがタワー前に展示されたときの写真から。
翌年の厚木はコンステレーションの艦載機たち(KA-3B、RA-5C、A-6A等)が展示されましたが、肝心のファントムはノーマークでした。
あいにくの雨でしたが、VRC-50のC-1×1とC-2×2が展示エリア外に駐機していました。
3個飛行隊のF-4Cがズラッと並び、スキャナー無しの#650は各種兵装を機体前に並べました。
雨の公開となった三軍に展示されたのは尾翼先端に警戒アンテナを付けたタイプでした。
日本初飛来、初デモフライトは私を含め多くの人々が衝撃を受けました。
<1971.10.29 名古屋航空宇宙ショー F-4Jブルーエンジェルス>
どれも第一キャノピー接続部分のせり上がりは見られません。
しかし同じショートノーズでもN型、S型や、90年代のQF-4Bに、せり上がった機体が見られるようになります。
このことから機首が短い長いではなく、撮影(改修)時期によって違うと考えた方が良さそうです。
ならばミグキラーとなるタミヤのキャノピーはどうなっているのかと見ると、せり上がっているようにも、そうでないようにも・・・。
まあパネルラインが違おうと、尾翼幅(厚さ)が違おうと気にしない無頓着な私には、たいした問題ではありません。
何しろ金型の関係で断面がΩ型でなくても、頭頂部がレンズ状態であろうと気にならない私ですから^^;