通知表がオール2だった私の小学校時代 | 慶応大卒の学習アドバイザーが白状します!「中学入学前、私の偏差値は29だった」

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こんにちは、KEIです。
今回は、「私の小学校時代」についてお話したいと思います。


私は小さい頃の記憶がほとんどなくて、
覚えているのは小学校2年生くらいからなんです。

(なぜなんでしょう? 物心がつくのが遅すぎますよね。)



その頃の私は、何をやっても平均点。
通知表は、3段階でオール2でした。いわゆる「平凡で目立たない子」です。


よく、周りのおばちゃんから、
「大人しくていい子ね」とか、「素直でいい子ね」とか褒められていました。


それ以外褒めるところがなかったんだと思います。



習い事は、習字をやっていました。
また、小学校4年生からサッカーを始め、ソフトボールのクラブにも入りました。



しかし!


結局すべてやめてしまいました。
とんでもない根性ナシです。


習字のような文化的な習い事も続かない。スポーツをやっても続かない。
勉強も相変わらず平均点でした。



そんな私の事を周囲の人はどう思っているのか、
とても気になりました。


「こいつは、何をやっても目立たない奴。」と
思われているような気がして、いつもビクビクしていました。



人間は、周りの環境から大きな影響を受けて生きています。


周りの人たちが私のことを上記のように思っているのではないかと
心配しているうちに、自分でもそのように考えるようになってしまいました。


「僕は、何をやっても目立たない人間。
何も特技がない人間だ。」と。



ひとつだけ褒めてもらえるポイントが、
「大人しくていい子ね」「素直でいい子ね」です。


それだけはなんとかして守り抜こうと、無意識のうちにしていました。
そうするうちに、自分の意見を言わなくなりました。



自分の意見を言って、それが周りの人の意見と対立してしまったら、
「大人しくていい子」ではなくなってしまうと考えたからです。


自分のたったひとつの長所がなくなってしまう恐怖は
とてつもないものでした。



そんな私だから、授業中に手を挙げて発言するなんてありえません。
「自分の意見を言う」という行為に、罪悪感に近い感情を持っていたのだと思います。


自分の意見を言わない。
周りの人にあわせる。


それだけが、私が無事に生きていく方法だったのです。
「大人しくていい子」「素直でいい子」しか長所がない子供は、
そうするしかなかったのです。



でも・・・


テストの点も普通。授業中に発言もしない。
そんな生徒に良い成績がつくはずがありません。


ずっと並みの成績でした。
「自分=並みの成績の人間」と思っていました。



そんな私とは対照的に、テストで高得点を取り、スポーツも万能、
性格も明るく授業中に積極的に発言をする同級生がいます。


「なぜ、こんなに違ってしまうのだろう?」という疑問を持ちました。
そして、周りの大人たちに聞いてみました。


その時に返ってきた答えは、


「○○くんのお父さんは、いい大学を卒業しているからだよ」
「△△ちゃんのお母さんは、学校の先生だからだよ」


でした。



つまり、

「生まれ持った才能や能力によって、成績や性格は決まってしまう。」
に等しい事を言われたのです。



現在の私であれば、こんなバカな話は聞き流します。
でも、まだ子供だった私は、その話に納得してしまいました。


「そうか。だから僕は勉強ができないのか。僕の家はお父さんもお母さんも
大学を出ていないし、学校の先生でもないから。」と考えたのです。



それまでは、同じ小学校に通って同じ授業を受けているのに、
なぜ成績に差がついてしまうのか?と疑問に思っていました。


でも、「生まれ持った才能の違いで成績に差がつくんだ。」と
理由がわかったのです。



それからは、自分の運命を受け入れました。
「大人しくていい子」「素直でいい子」を貫こうと思ったのです。


自分の意見を言わないようにしました。
自分の意見を持たないようにしました。


大人しくていい子を続けていれば、いつか周りの人達に認めてもらえると
真剣に考えていました。それが私の信念でした。


それしか、平凡な自分を受け入れる方法がなかったのです。



でも、まさか!


この信念が根底から覆る日が来るなんて。



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私の常識が根底から覆った日