そもそもユニバーサルって言葉自体が「普遍的」って意味なんで、広い解釈ができるのは当然です。
ルーツとしてはイメージとおり、障がい者の方のハンディキャップを軽減する目的で1985年に提唱されました。
その後、言わずもがな今のような高齢化社会になることは予測されていたので、そのあたりまで視野に入れた解釈、さらにできるかぎり多くの人が使えることという定義が浸透してくるようになります。
■7つの原則
定義を具体的にするために、一応以下の7つの原則は付されています。
①公平な使用への配慮
多様な使用者にとって使いやすく、かつ入手しやすいものであること
②使用における柔軟性の確保
幅広い使用者の好みや能力に適合していること
③簡単かつ直感的な使用の追及
使用者の経験、知識、言語能力、集中の度合いに関わらず、使い方が分かりやすいこと
④知覚可能な情報への配慮
周囲の状況や使用者の感覚能力に関わらず、必要な情報を効果的に伝えること
⑤誤りへの許容
不慮の出来事または意図しない行動が、危険や思わぬ結果につながらないこと
⑥身体的負担の軽減
効率よく、快適に、最小限の負担で使用できること
⑦アクセスと使用のための大きさとスペースの確保
使用者の体格、姿勢、可動性に関わらず接近、達成、操作、および使用のための十分な大きさとスペースが確保されていること
上記の原則をふまえてるものとして、
どちら側からでも空けれる冷蔵庫は②の原則、
スマホやケイタイのバイブやイルミネーションは④、
レバータイプの水道の蛇口は⑥の原則に則っていたりします。
■あまりにも当たり前になってきたユニバーサルデザイン
この言葉が出てくるよりも前に、福祉の意識の強い北欧では障がい者を特別視せずに普通に暮らしていける社会づくりはすすめられてました。
日本はむしろ遅れてましたが、それでも1990年代の終わりごろから一般的な言葉としても定着し、プロダクトデザインの開発の段階では当たり前の考えとして浸透しています。
むしろこれからはプロダクトなどのハード部分でなく、ソフトウェア、サービス、ウェブサイト、働き方や生活のスタイルまでを含む範囲まで拡大していきます。
言いかえれば、道具やモノは「形状」という分かりやすいもので表現できますが、人と人とのつながりなんかは目に見えない概念なんで、非常にむずかしい。
しくみとか教育によってそのあたりを「デザイン」していくことになるのですが、社会に生きる人それぞれがそのような事柄に関しての教養をある程度もっておく必要はあるように思えます。
私たちが関わる看板やサインなんかも、ピクトサインなどはユニバーサルデザインの要素が強いです。
ただ、その大きさが小さかったり、置き場所が悪くて読みづらいものがあったりするの場合は、ただのモノとして存在してしまうだけになってしまいます。
当たり前すぎて、そのモノを使ってどうやってコミュニケーションをとっていくのかということまで考えれなくなってしまってるんですね。
今一度、ユニバーサルデザインってこと。
それを使う側は意識しないレベルで問題ないですが、設置する側は何のために、誰のために設置するかをよくよく考えてみるのが大事ですね。
参考になりましたら幸いです。
いろいろなサイン・ディスプレイ扱ってます。