1978年(昭和53年)、高校生だった俺は、お小遣いのほとんどはレコード代と映画代に消えてしまうので彼女とデートにも行けず、こっそりアルバイトをしていましたが、なんせ地方都市。行動範囲が限られているので、すぐに見つかっちゃうんです。


なぜアルバイトがいけないか忘れましたけど、校則では基本、長期休暇以外はアルバイト禁止、または申告制だったような。


一度、蕎麦屋でバイト中になんと担任が目の前にいて、

「おどりゃあ、こんなとこで、なんしよんかあー?」

「お、お客さま、組にお帰り下さいませ(笑)」

「ばかたれがっ」

「あのー、ご注文は?」

「この馬鹿。もりっ」

「バカもり、一丁!」

「あとで話がある。職員室にこい」


と、結局バレて辞めなきゃいけなくなるのでした。


腐って家でTVを観ていたら、再放送で「若さま侍捕り物帳」なる時代劇をやっていました。


写真は、東京MXTVの再放送時のスチールです。


Wikipedia

『若さま侍捕物帳』(わかさまざむらいとりものちょう)

1978年(昭和53年)5月18日から10月19日までテレビ朝日系列にて毎週木曜日20時から20時54分に放映された城昌幸の小説『若さま侍捕物手帖』を原作とするテレビ時代劇。田村正和主演。全18回。



田村正和はいつだってカッコいいです。

田村正和扮する『若さま』は、さる大名のご落胤(ごらくいん=私生児のこと)『若さま』で、船旅館の船頭。武芸は超達者でべらんめえ、独楽廻しの達人。江戸っ子らしくせっかちなのか、なんせよく走る、走る。


「わの字。俺はこいつのことをそう呼んでる。

生まれはさる大名の御落胤(ごらくいん)

お袋のとっつあんは、曲独楽つかいの名人だ。」


という、中村梅之助のナレーションでオープニングが始まります。


「わの字」とは、また、古めかしいーあだ名ですけどね、正室に生まれていれば本当は『若さま』だったことを背負ってきた男が、生い立ちを受け入れて、分を守って船頭をやりながら武芸に精進。北町奉行のもとに悪を蹴散らし、下町のヒーローになるという、青春ドラマの要素がありました。


このナレーションにかぶさって主題歌が流れるんですが、これがいい!


「夕陽のまつり」

作詞:かぜ耕士 作曲:中村弘明 歌:市川光興


一足ごとのすきまから

日暮れは静かにしのびよる

不始末ばかりの人生を

夕陽がやさしくつつみこむ



かぜ耕士さんは、確か当時ラジオのパーソナリティで、「オールナイトニッポン」の前、「あおいくんとさとうくん」という番組の後、「たむたむたいむ」という番組をなさっていたような気がします。


あー、懐かしい!ちなみに「あおいくんとさとうくん」のあおいくんはあおい輝彦、佐藤君とは佐藤公彦(ケメ)です。ケメは、しらねーだろうなあ?


「ジェットストリーム」からオールナイトニッポンまでは、深夜放送のゴールデンタイムですからね!

つまり、かぜ耕士さんは人気パーソナリティでした。


どういう経緯で『若さま侍捕物帳』の主題歌を作詞なさったのか分かりませんが、歌っている市川光興はいわゆる歌手ではなく、ニッポン放送のディレクターだったそうです。



あしたにいきたい 

いきたくはない

ここからきえたい 

かくればがない


~夕陽のまつり かぜ耕士作詞~


さて、金欠病だった高校生の俺は主題歌のドーナツ盤を買う金もなく、とりあえずレコード屋でお取り置きしてもらおうと思ったら、欠品と言われてしまった。


え、まだ放映中だったような・・・?と思ったら、放映も18話で終了しており、しばらくしてまた注文したら、今度は廃盤と言われてしまった。


それから35年以上。番組は何度も再放送されましたが、主題歌はどうしても手に入らなかった。俺が知っている限り、再放送のOP以外で一度も聴いたことも、CD化されたこともありません。


俺って、しつこいのです。ついに、最近、ヤフオクでドーナツ盤を見つけ、久々に「ぜってー落札する!」と心に決めて、他に誰も競る人がなくあっけなく入手してしまった。


いやー、嬉しかったです。出品者さん、あなたはどこでこのレコードを入手なさったのでしょう???ありがとう!


さて、こんなにも思い入れのある曲をフルコーラス、ステレオで聴くのは生まれて初めて。


ところが、レコードってどうやって聴くのでしょう?


GGって見つけた、アナログレコードデジタル化サービス業の「Re-音」にお願いしてみることにしました。


ヤフオクで「夕陽のまつり」を買う時に、ついでに一緒に落札した、以前ここにも書いた、十朱幸代の「セイタカアワダチソウ」のEP盤と一緒に、「Re-音」に送りました。



待つことしばし、送られてきたCDを見て、俺は感激しちゃった!


CDにはジャケット写真と歌詞がちゃんと入っていて、CD盤にはドーナツ盤のドーナツのところがちゃんと印刷してある!なんとCDケースの背表紙までタイトルが入ってます。


EP盤1枚1,600円(高音質コース)です。


自分でできる人は高いと思うかも知れませんが、作業を考えるとめちゃ安いです。 この記事はステマかと言われても構わないです。現に、あまりに感動したので、「Re-音」に電話しました。


最初は多分クレームかと思われたようで緊張なさっていましたが、「素晴らしい!感動した」と感謝を述べて、ブログにリンク付きで掲載していいかとお願いしました。




快諾下さったので、リンクを貼っておきます。





ひとりになりたい

なりたくはない

なみだをすてたい

すてばしょがない


~夕陽のまつり 作詞:かぜ耕士~


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麺にコシがあるというのが、麺の美味しさを決める一つの価値観になっているのはなんでだろうと突然思いました。


というのも、実家のある北九州-下関辺りで食べるうどんにはコシなんてものはどこにもないからです。

これはこれで、めちゃ美味しい!行かないと食べれないのですが、知らない人に食べさせてあげたい。
下関うどんの老舗「桃太郎」の天ぷらうどん

博多のうどんもコシがありません。有名な「かろのうろん」もそうです。

伊勢うどんもそうですね。これにはきっと賛否両論でしょうが、あれも立派なうどんで、嫌いではないです。


かと思うと、うどんの代表選手である讃岐うどんはやはりコシがあって美味しいですよね。


その昔、30年以上も前ですが丸亀に遠い親戚を尋ねたときに、高松にあった古くて大きなうどん屋で食べた讃岐うどんの美味しかったこと!


最近になって、そこが超有名店だと知り、再訪しましたが、同じ感動は得られなかった。何かが違うんですよ。


実は味の記憶には絶対的な自信があるので、麺の味が違うことは間違いないですが、何でも昔がよかったというのはジジイの証拠なので言及するのは止めておきます。



博多ごぼう天うどん
讃岐うどんは、北九州-下関のうどんの倍の太さはありますから、なめらかな喉ごしとは別に、うどん自体に弾力性があります。


本当の讃岐うどんの食べ方では、茹でた後にすぐに提供するので、蕎麦のように水でしめません。つまり、うどんの表面は柔らかくてなめらかなのに、麺の中心には弾力性があるというのが本来の讃岐うどんの美味しさです。


この、「芯があるわけではないけど、麺の中心にある詰まった質感」、これこそが麺のコシだと思うのですが、本当の讃岐うどんを知らない人は、この、周りはプヨプヨ中はしっかりという讃岐うどん本来のコシを、麺そのものが堅いことだと大きく勘違いしている気がします。


では、一般に麺のコシとは何でしょう?


広辞苑で「こし」という言葉を調べると、5番目の意味で


容易に折れたりしないで、元の状態を保とうとする力。練り上げたもののねばり、板・棒などの弾力、糸・布・紙のハリなどをいう。靭(じん)性

と書いてあります。

これでは麺のコシを語るには不十分です。

北九州市小倉の肉うどん

というか、麺のコシの定義そのものが、人の感覚に左右される非常に曖昧なものなんですね。


スパゲティはアルデンテに茹でると言いますが、以前、イタリアで生活した時に、日本のスパゲティがいかに堅いかを思い知りました。


一度、現地の友達たちとローマのレストランに行ったとき、出てきたスパゲティの麺が堅いと、全員が店に突き返したことがあります。


実は俺的には日本で食べていたスパゲティの堅さで、逆に美味しいとさえ思ったので、俺はこれでいいやと言ったのですが、俺の意見は通らず、地元っこたちは頑として突き返しました。


すごく面白かったので、成り行きを見ていましたが、改めて出てきた麺は本当の讃岐うどん的なコシがありました。つまり、外は柔らかでぷよぷよ、中は弾力性がある麺が出てきて、最初に出されたものとは麺の味まで違い、みんながクレームを付けたことに納得したのでした。


後の経験から、いわゆる日本で出されるアルデンテくらいの状態まで茹でて火を止め、そのまま湯の中で余熱を使って蒸らすとこのような麺の状態になることが分かりました。この、最後の蒸らしのちょっとの手間を、その店の茹で方(料理人)が省略したのでしょうか。


日本で一般に言われている麺のコシの図式とは


コシがある麺が優れている=コシとは弾力性である=麺は堅く茹でるのが美味しい(通である)


ということです。


さっき麺のコシの定義は感覚に左右されると言いましたから、人の感覚(好み)を否定するつもりはありませんが、堅い麺=美味しいと思い込んで、麺を堅く茹でている人は、そうじゃないものを否定してはいけません!


というか、本当の讃岐うどんも本当のスパゲティも、日本で一般に出されているほどに堅くはないということです。


好みは否定しませんが、もし料理人ならば、翻訳されたものしか知らないのは、プロとして恥ずかしいですね。



下関市の徳仙茶屋の天ぷらうどん

さて、その好みですが、なぜ堅い麺が好みになったのでしょう?


これに関して、以前読んだ某大学の麺の歴史に関する論文に興味深いものがありました。


それは、江戸と上方の麺の食文化の違いで、上方の麺は熱い出汁に麺を入れたものだったのに対して、江戸は生水(なまみず)が安全で、しかもふんだんに使えたために、麺を茹でた後、冷水で締めて、冷たい麺を濃いツユにつけたり、ぶっかけにして提供することができたということです。


そのため江戸ではうどんよりも蕎麦が好まれたということなのです。


蕎麦に関していうと、やはり堅く締まっていないと蕎麦の美味しさは半減しますよね。少なくとも東京で蕎麦屋の看板を揚げているところで、茹ですぎや茹でて時間の経った蕎麦を提供したら、すぐに潰れてしまうでしょう。


つまり、麺を堅く茹でて、それをコシといって重宝するのは、東京人の好みだということなのでしょう。

博多のラーメンはもはや全国区ですが、東京の方はよくバリカタとかことによるとハリガネとかの堅めで注文していますよね。


博多でもそのように注文するところもありますが、俺が子どもの頃はそのような確固たる注文方法があったわけではなく、博多ラーメンは麺が細く、茹ですぎは致命的に不味くなるので、そもそもが堅いものです。


俺は東京にある博多ラーメンは博多風ラーメンだと思っています。

こんなことを言うと怒られそうですが、地元で育った人は同意してくれるかもしれない。東京の博多ラーメンも美味しくて普通に好きですけどね、まず匂いが違います。


そういえば、讃岐うどんも昔は匂いが違いました。


また昔は・・・が始まったので、この辺で止めておきましょう。


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獄門島


1977年8月27日公開

原作:横溝正史

製作:東宝映画

配給:東宝

監督:市川崑

主演:石坂浩二


市川崑監督、石坂浩二主演による金田一耕介シリーズのブログは、「病院坂の首くくりの家」「女王蜂」と遡って来たので、今回は「獄門島」です。


この「獄門島」は横溝正史ミステリー文学の中では最高傑作の一つです。


市川崑の1977年の映画「獄門島」は、犯人に関しては原作に忠実ではないのですが、ほぼ原作通りのトリックを使用しているので、ネタバレになることは書きません。


というのも、原作「獄門島」は、美しい妙齢の3姉妹が次々と俳句に見立てて殺されるという、実に横溝正史らしいおどろおどろしさと絢爛な様式美があるのですが、その殺人と犯人には、あっと驚くトリックが惜しげもなく使用されていて、とても本格的なミステリーだからです。


さて、市川崑の映画「獄門島」ですが、なにが素晴らしいって、そうそうたる出演者の面子です。


先ずは佐分利信(さぶり・しん)です。戦前から活躍なさっていた大俳優です。小津安二郎監督の『お茶漬の味』にも出演なさっています。亡くなったのは1982年ですから「獄門島」は晩年に近い作品で、他には『日本の首領』、『砂の器』、『悪霊島』などがあります。


”大向こう”(おおむこう)という言葉をご存知でしょうか?これは歌舞伎の舞台正面の3階席や桟敷のことで、その辺にいる客というのは文字通りの通(つう)、何度も足を運んでくれる客なのです。


歌舞伎で「〇〇屋!」と声を掛ける客たちです。


あれは声を掛けるタイミングも、誰が〇〇屋なのかもそれこそ大向こうでないと分かりません。

「たやっ!」これが成田屋だったりしますからね。


「獄門島」の佐分利信には、歌舞伎のタチ役者のような、大向こうから掛け声がかかりそうな大物感がありました。この方は随分と大根役者と言われたようですが、「獄門島」では対大向こう的な演技が素晴らしくいいのです。


「無残やなあ・・・。兜のしたのきりぎりす。南無」


これは芭蕉の句ですが、これに見立てて2番目の殺人が行われたとき、佐分利信はこの科白をつぶやきます。この2番目の殺人ではこの映画の最高に素晴らしいシーンが続きます。


それは、太地喜和子扮する分鬼頭(わけきとう)の女将が、殺人現場で突然ヒステリーを起こすシーンです。無残な殺人の前で凍りつく島民たちの前で、突然狂ったように笑う太地喜和子の演技の素晴らしいこと。

「ぎゃはははははは。


とんだ道成寺だこと!
あーあ、そういえば雪江ちゃんのおっ母さんのおさよさんは、女役者ってはなしねえー。そして、道成寺の鐘入りがお得意で」


ここで草笛光子扮するおさよが道成寺を演じる場面がフラッシュバックします。いつもながら、市川崑の見事な映像テクニックです。


おさよは鐘の中で殺害されている雪江の母ですが、すでに他界しており、生前は田舎芝居の看板女優で、道成寺はおさよの十八番だったのです。


「親の因果が子に酬いってことなの、狂ってるわよ、みんな狂ってるわ!」


太地喜和子もお亡くなりになりましたが、現在、彼女の演技を堪能できるDVDがなかなか存在しません。残念ながら彼女のような女優さんはもういないですね・・・。市川崑は彼女の魅力を100%引き出しています。彼女を見るだけでもこの映画は価値がありますよ。


さて、道成寺とは、かなわぬ恋に身を焦がした清姫が、道成寺の鐘の中に隠れていた恋する男(安珍)を、蛇に化身して鐘に巻き付き、鐘もろとも焼き殺すという、壮絶な情念を描いた伝説がもとになった芝居です。

能、歌舞伎共に大変人気のある演目です。能・歌舞伎では、この安珍・清姫の伝説は伝説として、とある白拍子(遊女のこと)が実は清姫の化身だったというお話です。能・歌舞伎共に、鐘の中での装束(着物)の早変わりがクライマックスなのです。

この芝居を知っていたら「獄門島」の殺人のトリックも解けるのです。敢えてそこで、道成寺の鐘入りを映像として挿入するのは、ミステリーとは伏線の文学であるということを映像化する、市川崑ならではの見事な演出です。


さて、もう一人「獄門島」で素晴らしい演技を披露していたのは、本鬼頭(ほんきとう)の当主嘉右衛門役の東野英治郎です。

この方は言わずと知れた水戸黄門役で有名です。

俺の年代ならば知らない方はいないでしょう。映画の公開時は恐らくまだ水戸黄門をなさっていたのではないでしょうか。七福神みたいな恰好で「かっかっかっ」と笑う水戸黄門は、若い方でもご存じでしょう。表現は古いですが”好々爺”とはこのことです。


その水戸黄門さまが「獄門島」では、見事に真逆の役どころです。おさよ同様に既に他界しており、回想の中でしか出演しません。


東野英治郎扮する鬼頭嘉右衛門は島で一番の網元です。網元の頭領がどのような人物像かは、原作には詳しく描かれています。


漁師は就業中に生命の危険性が伴っている男稼業です。いまそんなことを言うと前時代的と怒られますが、構いません。当然、気性も荒く、かつ豪快。嘉右衛門はそんな漁師達を仕切る頭領ですから、さらに豪傑です。


横溝正史の話には必ずこのようなタイプの男が登場します。


金、権力、精力のすべてを備えた捕食者としての男です。そしてこのような男には必ず社会的なモラルが欠如している設定になっています(笑)


この役を水戸黄門さまが演じているのが「獄門島」の面白さの1つです。


嘉右衛門はおさよの所属する劇団のために島に芝居小屋を作り、そこでおさよに道成寺を演じさせていたのです。


ところが、嘉右衛門の跡取り息子が、妻を亡くして男やもめになってしまい、旅芸人のおさよに惚れて、妊娠させてしまいます。

これが嘉右衛門の大誤算で、”終わりの始まり”だったのです。


「おさよを俺の後添い(のちぞい)にさしてくれんか、このとおりや」


おさよの妊娠が発覚した跡取り息子が嘉右衛門親父に頭を下げて、結婚を許してくれと頼む込むシーンです。


嘉右衛門の前に土下座する息子。それを見下す嘉右衛門は、いきなり下卑た爆笑をもって、文字通り一笑に付します。


「ぐぁあはははははははははっ


お前も本鬼頭の跡取りや。夜が寂しいんやったら、女役者でも女郎でも買うてヤったらええ!


後添い(のちぞい)なんぞと、辛気臭いことを考えるなあっ!・・・ゴルァ、飲めい!」


ああ、黄門さま・・・、何て事を!役者って本当にすごいです。


映画「獄門島」は佐分利信、太地喜和子、草笛光子、東野英治郎のすさまじい存在感が映画そのものの非現実性をはるかに凌駕しています。


元の話が何だったかも忘れてしまうほどです。映画ではこの面々とは別に、司葉子、大原麗子の悲哀とリリシズム溢れるストーリーラインがあって、まるで「獄門島」は2本立ての映画を一度に観るようです。


一つ家(ひとつや)に 遊女も寝たり 萩と月


3番目の殺人はこの芭蕉の俳句に見立てられますが、この俳句は「獄門島」で知りましたが、さすが芭蕉、名句です!


どのような状況で、遊女と一つ家(山中はずれにある小さな宿でしょうか)で寝屋を共にしたのかは謎ですが、この句の”萩と月”とは、自分(芭蕉=男)と遊女の見立てでしょう。


萩は男か、はたまた遊女か・・・どちらがどちらなのでしょう?


これは見る人の立ち位置に任されているのでしょう。わびさびと、もののあわれと色香が同居する素晴らしい見立ての俳句です。



こう考えると、「獄門島」で、犯人はなぜこの句に見立てて殺人を計画したか、実は非常に奥が深いのですよ。


市川崑・横溝正史ファンの皆さま方々、是非それを考えてみて下さい!







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