皆さんは、禅の公案ってご存知ですか?


好き好き好き好き大っ好きーの一休さんは有名な禅僧で、一休さんらしい有名なエピソードがたくさん残っています。

足利義満が一休さんに出した、「屏風のトラを退治しろ」エピソードはよくご存じでしょう。

これは「とんち」ですが、禅問答の一種であるという見方もできるわけです。


多感な思春期を通過中、または通過した方は、アメリカの作家サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んだことがあるかと思います。


そのサリンジャーの「ナインストリーズ」という短編集の表紙には、ある有名な禅の公案が書かれています。


We know the sound of two hands clapping. But what is the sound of one hand clapping?


両手で鳴らした音は知っている(手を叩く音・拍手)。では、片手の音はどんな音か?


と、いう質問文で、これは禅宗では有名な公案の「隻手音声(せきしゅおんじょう)」「隻手の声(せきしゅのこえ)」と呼ばれるものです。


公案ですから、質問というよりは、「片手の鳴る音を聴け、そこに1つの真理を見つけろ!」という意味で、公案の謎かけに1つの答えがあるわけではありません。


答えがないわけではなく、答えとは、「悟りを開く道しるべ」ということです。


禅宗の坊主でもないくせに偉そうなことを言うなと、まあ言わないで。


これでも二十歳前後はひどく悩み、明日が来るとは思っていなかったのでした。


そのようなことは全く俺にはそぐわない・・・と開き直って生き始めるまでに、結構かかったような、遠く甘い記憶があったりします。


今でも、時々そんなことを考えたりするのは、料亭や旅館、茶室、仏閣などを訪問するときに、ふと、掛け軸などに禅の言葉や公案が目に入ってくることがあるからです。


そういう時は、きっと俺の何かが間違っていたり、疑問があるんだなあ・・・と思ってしまいます。


思春期の記憶は、さっき甘いと書きましたが、痛いものもあったりして、なにげなく目にしたものがずきんと来るのは、これは心に何かがある証拠。こういうサインを逃してはいけないものです。




最近、日本橋の蕎麦屋「室町砂場」で天せいろを食ったときに、なぜか突然思い出した言葉があります。


「主人公」


何故?


これはですね、室町砂場の天せいろって、普通の天せいろ(天ざる)とは全然違って、かき揚げの天ぷらが、熱いそばつゆの中に最初からどっぷり浸かった状態で出てくるんですよ。


最初から知って頼んだので驚きも何もしないですが、食いながら、「こりゃ結局、天ぷらを食うものではなく、蕎麦が主人公なんだな・・・」と、独り言をつぶやいたのでした。




ちなみに、室町砂場の蕎麦は、これが人間の切った蕎麦かと思うほど美しくて、確かに美味しいし、蕎麦が主人公と言って過言ではないです。


さて、主人公が禅の言葉だったとはご存じないでしょう?


これは無門関という、中国の公案集の中に出てくる「瑞巌(ずいがん)主人公」という公案です。


この瑞巌和尚は、毎日、自分自身を

「主人公!」と呼びかけて、自分で「はい」と返事をして


「惺々著(せいせいじゃく)」=「おい主人公、しっかりと目を覚ましているか?」、「はい」


「他時異日、人の瞞を受くること莫れ」=「人にだまされんじゃねーぞ」、「はい、はい」


これを毎日繰り返していたというのです。


これは、自分のことを「主人公!」と呼び自分で「はい!」と答える、奇妙といえば奇妙な公案ですが、なんだか俺にぴったりなような気もします。


自分が主役(笑)


という意味ではありませんよ!


これは、誰もが自分の主人公でなくてはいけないということです。


これは、他の公案では「面目」と言います。内なる真の自分ということです。


「主人公!」「はい」とは、自分の内なる真実の自分でいることができているか?という問いかけなんですね。


心理学用語では「自己一致」と呼ぶもので、心理学の学生は「じこいち」と呼ぶのですが、禅の公案にも出てくるくらいですからね、自己一致とは、そんじょそこらの学びで理解できるものではありません。


なぜならこれは生き方の問題で、心理学でも、禅でも、こうあらなくてはいけないということなんです。


室町砂場も蕎麦屋とは「此処はそばを食わすところ也」ということです。


おーい、主人公!


返事が聞こえねーぞ???




店名 室町砂場
電話番号 本店 03-3241-4038
支店 03-3583-7670
FAX 03-3241-4816
住所 中央区日本橋室町4-1-13
営業時間 本店
平日 11:30~21:00(L.O 20:30)
土曜 11:30~16:00(L.O 15:30)

支店
平日 11:00~20:00(L.O 19:30)
土曜 11:00~19:30(L.O 19:00)
定休日 毎週日曜日・祝日・第三土曜日
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デパートとの食堂と言えば、みなさんそれぞれに懐かしい思い出が沢山あることでしょう。


最上階にあって、広くて景色がよくて、Aランチ、Bランチ、お子様ランチ、和洋中となんでもあって、入口のショーケースの食品サンプルをみてるだけで楽しかったですね。


俺は子どものとき、なぜかほとんどのものが食べれなかったので、デパートの食堂に行っても何も食べたいものがなくて、それよりも、屋上でソフトクリームの方がよかった。


山口県下関市には、今でも大丸デパートがありますが、子どものときは屋上から下関駅が見下ろせたので、電車好きな俺はずーっと駅をみていました。


1960-70年代の下関駅は、それはそれは栄えておりまして、山陽本線、山陰本線、九州方面行きの特急・急行電車が何本も行き来していました。


下関の次の駅は九州の門司です。


駅を出て、長ーい海底トンネルに入ると、電車が一度停電するのです。これはトンネル内だけ電流が違うせいですが、この電車の停電は、今でもじゃないかな?真っ暗になるので、知らない人はびっくりするでしょうね。


デパートの食堂の話だったのですが、みなさんそれぞれに思い出があるでしょうから、関係ないことを書いていますが、当時はまだ蒸気機関車が走っていました。


確か昭和50年(1975年)が下関駅の最後の蒸気機関車だと思います。山陰本線の下関―長門市です。


デパートの屋上で駅を見ていて下を蒸気機関車が走る時は、煙で顔が真っ黒になるんですよ!

今、街なかを蒸気機関車が走ったら、それこそ大変なことになるでしょうね。無くなってしかるべきなものが、あるんです。


屋上の金網も蒸気機関車の煙ですすけているので、何しろ毎回、顔や服を汚して、必ず怒られていました。家族でデパートへ行くというのは、よそいきを着てのお出かけでしたからね。親も汚いガキを連れて歩くわけにはいかなかったでしょう。


でも、今も一緒なんです。シミのない服がありません!


気を付けてんですけど、気がついたらシミがついている!カレーうどんなんて、あれだけ気を付けているのに、なぜか必ずシミができている。頭に来ます。


この前も、ミーティング中に、コーヒーカップから指が抜けなくて、全部ぶちまけた。

アルマーニの白シャツ・・・

俺は先生と呼ばれてるんですけどね。相手も笑えないから、かわいそうでした。


日本で初めてのデパート食堂は1903年(明治36年)、白木屋(後の東急百貨店)だそうです。

日本橋三越が、1905年元旦の新聞の全面広告で、「デパートメント宣言」をしたのが、日本で最初のデパートだといわれていますから、いわゆるデパート食堂と呼ばれるものは、日本橋三越が最初なのかもしれません。


ちなみに三越とは、呉服店の越後屋と三井財閥から1文字づつ取ったものです。今でも日本橋三越の隣には三井館がありますね。


お子様ランチも三越が最初に考案したそうです。それはもっと後の1930年です。その時の名前は「御子様洋食」。とてもガキの食い物という感じではありませんね!ちなみに「お子様ランチ」という名称は、同年、上野松坂屋が最初です。


つまりデパート食堂とは3世代が食事できる食堂で、どの世代も満足できる品揃えがあるということです。


そのデパート食堂も昭和50年代になると人気がすたれて、うらぶれた雰囲気さえ漂うようになってきました。


つまり、デパート食堂と聞いて、いま40代以上の昭和世代が思うのは、よそ行きを着てお出かけした華やかな賑わいと、すたれてうらぶれた食堂の2つのイメージが融合して、独特のノスタルジーを生んでいるのです。


現在のデパート食堂は「高級ファミレス☆☆☆」という感じでしょうか。

日本橋三越は特別食堂日本橋という名前で東京会館がやっています。新館には「ランドマーク」というファミレスがあります。


もう一つの日本橋の雄、日本橋タカシマヤは、これも日本橋三越に負けず歴史が古く、こちらは建物自体が国の重要文化財になっています。


日本橋高島屋の「特別食堂」は帝国ホテル、大和屋三玄、野田岩です。三越の特別食堂よりも、デパート食堂に近いものがありますが、そうそうたる顔ぶれですね!


帝国はともかく、野田岩は赤羽橋なので、ここのきりっとしたウナギを食べたいときは、日本橋高島屋の方が環境がいいのです。


さて、日本橋高島屋にはもう一つ、地下2階に、表題の「レストランローズ」があります。ここはまさにデパート食堂です。とにかく何でもあります。


「レストランローズ」は地下2階にあるのでアクセスもいいのです。


そもそもデパート食堂を最上階に置くのは、シャワー効果と呼ばれる、一旦客を最上階にあげておいて、順に各階を見てもらおうという経済効果を狙ったものなのですが、日本橋高島屋に至っては、そんなことをせずとも成立しているのかも知れません。


そこがまた、気に入っているところです。実はサラリーマン時代、デパートが取引先だったので、東京のデパートは、それこそ社員食堂からお得意様まで存じ上げていましたが、特に日本橋高島屋のお得意様は別格に素敵でした。


さて、レストランローズで一番気に入っているメニューはデミグラスハンバーグ御膳(定食だったかな?)


ここは某口コミサイトでは星3.0なのですが、はっきり言って、レストランローズのデミグラスハンバーグはどこのレストランのハンバーグよりも好きです。


美味しくてしかも安い。1400円くらいかな。


俺はそれにいつもミニラーメンを付けるのです(笑)



ハンバーグ定食とミニラーメン!このあり得ないコンビのランチを食べれるところがデパート食堂の真骨頂ではありませんか!?


でもね、このミニラーメンですが、高級中華風の周りの赤いチャーシューと澄んだスープに細麺で、とてもおいしくて、ここレストランローズでは俺のような、あり得ないコンビで頼むお客さんがとても多いのですよ。寿司とミニラーメンとか。


とはいえ、ここには1人では行かないので、いつも小さな椀をもらって、ミニラーメンをさらにミニミニラーメンにして食べてるのです。




サービスは忙しいのでぞんざいになりそうですが、さすが日本橋高島屋。嫌な思いをしたことは1度もありません。食器類はファミレス風ですが、これは仕方ないですね。


いつも賑わっています。客層はさすが日本橋だけあって、一般のファミレスとは一線を画しています。照明も少し落としていて、テーブル間隔も広くとっていますので、客層にあった内装になっています。


ここには、昔のデパート食堂にあった、よそ行きでお出かけするほんのちょっとした贅沢感を残しつつも、メニューには何でもありのウキウキした高揚感があり、さらにいまの時代らしく価格はファミレスの1.4倍程度。


今となってはデパート食堂の王道だと感じています。


そういう意味からして、昭和50年以前にお生まれになった方は、きっとお気に召すことと思います。


本音を言うと、某サイトの星3.0で判断して、出来れば来てほしくないです(笑)


でも俺のブログを読んで下さる方、どうせ少ないでしょうし、是非一度お出掛けになってください。その際は、是非、デミグラスハンバーグ御膳とミニラーメンをコンボでどうぞ!


これを読んでくださったオヤジたちが、みんなデミグラスハンバーグとミニラーメンを注文したら、面白いだろうなあ・・・。


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2014年9月、「名探偵ポワロ」のファイナルシーズンが放映されて、DVDもすべて出揃い、1989年に始まった24年間にわたるシリーズがついに完結してしまった・・・。


ミステリー好きな俺は、全70話のうち、最終話の「カーテン」だけ残して、すべて観てしまいました。


なんで、最後の「カーテン」だけ観ないかというと、観たら終わっちゃうのが悲しい気分になりそうで、怖くて観れないのです。


「カーテン」TV版の詳細は分かりませんが、ストーリーは知っているので、なおさら観たくないのです。ファンならではの心境だと思うのですが、まさか犯人は覆せませんからね。それを考えるとアガサクリスティーって、今さらながら偉大です。


この「名探偵ポワロ」ファイナルシーズンは、どれをとっても素晴らしい出来栄えで、とてもこれがTVドラマとは思えない、どれもが極上の映画を観ているようです。


中でも「象はわすれない」は素晴らしいと思った。



これまで、アガサクリスティの作品で一番好きだったのは、「鏡は横にひびわれて」でした。


これは、ミスマープルシリーズで、同じくBBC制作のTVシリーズがありますが、映画ではエリザベステイラーが主役を演じていました。


これの何が好きかというと、殺人の動機です。犯人の動機には美しさと儚さがあります。物語りの設定は絶頂期を過ぎた大女優で、こんなストーリーは、女性であるクリスティーならでは。彼女しか考えつかなかっただろうと思います。


さて、「象はわすれない」ですが、これは1972年にアガサクリスティが80才を過ぎて書いた、実質上ポワロの最後の事件です。


ポワロの最後の事件は「カーテン」ですが、1943年に執筆されていたので、執筆順ではこの「象はわすれない」がポワロ最後の作品なのです。


そこで、「象はわすれない」の書評などをみると、この作品の評価はあまり高くないのですね。


うーん。俺はそうは思いません。実に興味深い作品で、「鏡は横にひびわれて」に通じる美しさを感じるのですが、なぜ書評が芳しくないのか、自分の目で確かめてみたいので、久々にクリスティーの文庫本を買うことにしました。


最近はAMAZONなる便利なものがあるので本屋へ出向くことが少なくなりましたが、なんとなくイベントにしたくて、日本橋丸善まで出かけて、ハヤカワ文庫の赤い背表紙を手に取りました。


日本橋には昭和の香りのする純喫茶が何件かあるのですが、中でも地下にあって大好きな「ルイーズ」に行って文庫本を開き、至福な時間を過ごしてきました。


さて、本はその日のうちに読破しましたが、やはりこれは面白い!

もしかしたら、クリスティの最高傑作かもと思っています。


80才を過ぎて執筆するならば、アガサ・クリスティも、これがきっと最後のポワロだろうと思って執筆したことと思います。


さて、ここまでブログを読んで下さった方は、恐らくはミステリーファンかも知れませんね。そうでなかったら、もうここまでで結構です(笑)


ここからは、ネタバレを含みそうなので、読まないでください。


さて、ミステリーファンのあなた!


アガサクリスティともあろう大作家が、生涯最後であろうポワロものを、酷評で終わるようなものにするとお思いでしょうか?


俺は思いません。この話はさても奥の深い、ポワロ最後の事件にふさわしいものです!なぜならば、真犯人は別にいるからです!


説明いたしましょう(笑)


最後に殺人の真相を語るのは、ポワロ本人ではありません。

当時の生き証人は1人だけです。その人によって殺人のトリックが語られます。


ポワロは双子の姉妹が入れ替わったという最大の秘密を暴きましたが、それ以降、なぜか口をつぐんで、その生き証人の語るままに、最後まで一切、口を挟まないで、そのまま事件に幕を引きました。


何故だと思いますか?


ポワロには真犯人を追求するエビデンスがなかったからです。真犯人とは双子の妹かその生き証人のどちらかです。クリスティさん、どちらかに決めてください。


どちらの人物も殺人は不可能でした。妹は先に殺されて、生き証人は殺人当時はスイスに移住してましたから。


動機は愛です。方法は殺人教唆。


結構大胆なことを言っておりますが、自分の説にはそれなりに自信があります。


クリスティは「象はわすれない」を執筆した時、ポワロ最終作「カーテン」を既に執筆しており、「カーテン」はクリスティの死後に出版されることになっていました。


恐らく、「象はわすれない」の次作が「カーテン」になるであろうと、高齢のクリスティは予測していたと思います。


「象はわすれない」の最後のポワロの沈黙は「カーテン」の伏線だった。そう考えると「カーテン」のテーマである殺人教唆にぴったりなのです。

「カーテン」の殺人教唆には悪意と憎悪がありました。「象はわすれない」には愛しかありません。しかも所詮滅びる愛だった。ポワロが黙ったのはそのためです。犯人を追求する意味が見出せなかったのです。


ああ、なんと美しくも残酷な話でしょう!

ミステリーは伏線の文学ですからね。なんといってもアガサクリスティですよ。そのくらいのことはやるでしょう。


「象はわすれない」とは、Elephant never forgetsという英語のことわざで、作品中も語られてますが、昔、鼻をいたずらされた象が、その後何年も経って、市場で偶然通りかかったいたずらをした人に、鼻から水を浴びせて仕返しをしたという逸話から来ています。


ところが、原題はElephants can rememberなんですね。

「象たちは記憶することができるんだぞぉ」(笑)ということです。


本当にいいミステリーは、終わった後に新たな謎を残すと思っています。すべてが語られるもの、すべてに整合性があるものは文学ではないのです。


第一、人の心がそうですもん。

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