1981年。音楽が大好きだった俺は、当時ディスコと呼ばれていた場所がことのほか好きで、新宿のツバキハウスに入り浸っていました。



大学生だった俺は、終電など気にしたこともなく、ディスコで過ごした後は、そのまま朝まで歌舞伎町で時間をつぶすか、もしくは、新宿2丁目の伝説のクラブに行き、夜通し遊び呆けていました。



その伝説の店の名前を検索すると、なんと、今でもやってらっしゃるのですね!今はどうなっているのか・・・。もう何十年も夜の新宿には出掛けていないので、想像もつきません。

想像もつかないので、名前を挙げるのは止めておきます。



新宿2丁目といえば云わずと知れたゲイの街です。当時その店はゲイの店ではなかったのですが、雑居ビルの上の階には、ゲイディスコがありました。



なぜそのクラブが伝説の店かというと、お客は今でいう、生物多様性そのまんま。



それはそれは凄かったです。上の階から流れてくる兄貴たちや、全くジェンダーの判らない方々、外国人、服飾デザイナー、ミュージシャン、内外の芸能人・・・。フツーの大学生だった俺は少数派です。どう考えても怪しすぎました。特に夜中2時過ぎから、太陽の昇る少し手前までは凄かった。



ツバキハウスからして、こういっちゃあなんですけど、そうとう怪しかったですが、ここも伝説なので、俺が語らずとも、色々とエピソードがあることでしょう。とにかく、それなりの格好をしないと、疎外感を味わうことになるので、何を着ていこうか、それはシリアスな問題だったのでした。



当時、近所に山本寛斎さんのヘッドショップがありました。

時々、道でカンサイさんをお見かけしてましたが、背が高くてカッコいいなーと憧れたまんまに、つい店に入ってしまい、浮世絵侍の横顔が刺繍されたセーターを衝動買いしてしまった!



俺が買える値段ではなかったんですけどね。まあ、バイト増やして、どうにかなるかなと。



とはいうものの、セーターだけあってもどうしようもないわけで、パンツどうしよう?靴どうしよう?ジャケットねえと寒いし・・・と限りがないわけです。



しかも、ど派手だから、一発で覚えられてしまう。気づいたら洋服はカンサイのばっかり。



金はどうしたかというとですね、そのような服を着て、そのような場所にいると目立つので、色々な方と知り合うもので、普通よりもちょっと値段のいいバイトがいろんなところから降ってくるのです。



法に触れることはしてませんよ。お縄頂戴はお断りですからね。自分的に一番おもしろかったのは、ディスコのDJです。



なぜそんなことになったのかというと、とあるディスコで、ガラス張りのDJブースに張り付いて、DJをいつも眺めていたんです。あるとき、突然、DJが出てきて、「お前、ちょっと代われ!」と言うが早いか、どっかに行ってしまった!



その人も凄いですよね。男前な行動のような、激しく無責任なような。なんとかやりましたが、それがきっかけなのです。



DJの何が面白いって、盛り上げて盛り上げて煽っていながらも、何か1曲間違えちゃうと、あっという間にダンスフロアーが空になるんです。



最初は、ゲー!大好きな曲なのに、なんでー?なんて思いましたが、まあ、踊る側にも休息は必要なんで、別にいいやと思えるようになるまでは、結構悩みました。



ところで、その頃は六本木もディスコが有名で、ツバキハウスの姉妹店の玉椿が六本木にありました。



六本木は、当時も今も、外国人の遊ぶ街ですが、新宿とはまた客層が違い、怪しさもアップグレードな感じでした。



何といっても、六本木には、さらに怪しい店があったんです。名前は忘れてしまいました。昔イタリアントマトがあったあたりだったかな。



なにが怪しいって、そこは芝居小屋の楽屋みたいな場所があって、そこでメイクや衣装など好きにコスプレして踊り狂うというクラブだったのでした。俺は天井桟敷の真似をして学ランを着て、さらにそこの女性から真紅の口紅でメイクをされて、朝まで踊っていました(笑)



その頃に六本木でよくかかった曲。








Anekaアネーカ Japanese Boy ジャパニーズボーイ


これは、1981年8月に発売されたディスコ曲で、全英チャート1位、世界中でヒットした曲ですが、一体どこがジャパニーズじゃ!と、日本ではヒットしませんでした。



この曲は、外国人(英国女性)の恋人を、ある日、理由も告げずに捨ててバックれてしまった日本の男を、彼女が嘆く歌なのです。



日本を除く世界中でヒットしたのですが、なぜに、この曲が世界中でヒットしたか。俺にはよく分かります。



なぜならば、この曲を地で行ったからです。この曲の思い出は、とある代官山のフラットで目覚めた、軽い記憶喪失の朝に始まる、短い恋の物語り。



痛い思い出です。その後何年も経って、自分が外国人になって初めて分かったことが、その時には、なにも理解できなかった。



Mister, can you tell me where my love has gone, he is a Japanese boy

I woke up one morning and my love was gone
Oh my japanese boy

Ohh I miss my japanese boy




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美空ひばり「さくらの唄」のブログを書いた時に、きっとご存じの人は少ないだろうと思い、AMAZONのMP3を貼って、さわりだけでも試聴できるようにしておいたら、そこからMP3をお買い上げいただいた方がいらしたようで。


あんな悲しい歌をDLなさった方は、まさか、カラオケなぞで歌いはしないでしょうね?!

ダメですよ!なんとなく、先行きが心配になったのでした。

表題は「世迷い言」。作詞:阿久悠、作曲:中島みゆきです。日吉ミミさんの1978年10月5日発売の楽曲です。

これは、『さくらの唄』と同枠のTBS水曜劇場『ムー一族』の挿入歌でした。


『ムー一族』は大人の事情で再放送は控えているようですが、このドラマを実際に観てなくても、同じくドラマ挿入歌の『林檎殺人事件』はご存じでしょう。放映は1978年(昭和53年)5月17日~1978年2月7日、全39回です。



プロデューサーの久世光彦さんは、このドラマを最後にTBSを退社なさって、水曜劇場はこの作品で1つの時代が終わった感じでした。


この「世迷い言」は、しみじみと、とてもいい歌です。


日吉ミミ版も持っていますが、中島みゆきの「世迷い言」が、とてもいい!

彼女のアルバム『お帰りなさい』に収録されています。


変なクセだよ、男に振られたその後は

なぜだか、決まって、風邪をひく、、、うう



男に振られたを「女に振られた」に変えてみたところで、全然しっくりこない。

昭和な女性の、ちょっとさみしい世界観が完璧なので、崩すことができません。


おかえりなさい/中島みゆき

¥2,916
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このアルバムには、桜田淳子のヒット曲「しあわせ芝居」も入っていますが、俺は桜田淳子の大ファンだったので、中島みゆきバージョンで聴こうとは思わず、でもどうしてもこの「世迷い言」が欲しくて、アルバムを買ったものでした。


今回、またまた、このCDを買ってしまった。LPレコード盤を入れると、なんと4回目。なぜに同じものを手放しては買うを繰り返すのか、自分でも理解に苦しみます。


決して中島みゆきのファンではないからです。もちろん彼女は素晴らしいアーティストだと思っていますが、どうも世界が合いません。


でも、この「世迷い言」ともう1曲「化粧」の2曲は大好きなのです。


「化粧」はもともと中島みゆきのオリジナルで、ご本人のヒット曲ですが、実は桜田淳子が歌手活動を休止する少し前、33枚目のシングル盤としてカバーしましたが、これがまたいい。


その頃の彼女は、息をのむほどにきれいでした。こんなにきれいな方が、


こんや、死んでもいいから、きれいになりたい・・・



なんて、ぜんぜんそぐわないのですが、実はそれがよかったりします。オリジナルよりも桜田淳子バージョンの方が全然好きなのです。


ファンだったから、何だって彼女の歌が良いに決まっている・・・のでしょうが、その後の彼女の生き方を見るにつけても、きっとご本人がこの歌を心から好きだったんだろうなと感じます。


「世迷い言」も「化粧」も、どちらも恋愛がうまくいかない女性の歌です。

共感できるかといわれると、どうも気持ちが分からなかったりするのです。じゃあなぜ好きか?


それは、きっと俺のどこかに、この歌のような女々しい自分が住みついているのでしょう。そんなことを認めるわけには、絶対にいかないですが。


ところで、「世迷い言」は阿久悠さんの作詞ですから、完全な中島みゆき世界というわけではありません。ドラマ『ムー一族』では、伊藤四郎さんや由利徹さんが通うスナックのBGMで流れていました。


よのなかばかなのよ


と、劇中のスナックで、常連の男たちが酔っぱらって歌っていましたっけ。



みかんをむく指、黄色く染まる

忘れたマニキュア剥がれて落ちる

もしや、あんたが帰ってきたのかと

ベッドを下りたら出るくしゃみ



それで気がつきました!


あんた


女性が男をあんたと呼ぶのが、なんか俺の心にぐっと突き刺さるのでした!


こんやあたしは、あんたに会いに行くから

最後の最後に会いに行くから


そういえば「化粧」を歌う桜田淳子の「あんた」にも、ぐっと来たものです。

化粧/Victor
¥250
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なんだ、そうだったのかー。ああ、よかった。自分がぐずぐず女々しい男なのかと本気で心配していました。


そう考えると、「あんた」と呼ばれる男に、ダメかっこいいイメージを持った歌は、沢山あります。

「あんた」になりたい男は、俺だけではないですね!


「あんたのバラード」という世良正則の名曲もあります。もう、しょっぱなから、シャウトで。


あんたに

あげた愛の日々を、今さら返せとは云わないわ


甲斐バンドの「そばかすの天使」


あたしを捨てていっちまった あんたの背中に

好きよ好きと何度も叫び続けた


チャゲ&飛鳥「ひとり咲き」


あたいはあんたに夢中だった

こころから あんたに惚れていた


西岡恭蔵「プカプカ」


あんたが あたいの寝た男たちと

夜が明けるまで お酒飲めるまで


本家にもありますよ。中島みゆき「時は流れて」


あんたにはもう会えないと思ったから

あたしはすっかりやけを起こして いくつもの恋を渡り歩いた


ところで、俺はというと、人生で一度たりとも「あんた」と呼ばれたことがなく・・・。

結局、あんたと呼ばれるような男になってみたかったということなのでした。


自分にないものへの憧れなのか。うーん。


53にもなって、まだそんな憧れを抱いてるなんて、カッコ悪!と、また自己評価が下がってしまった・・・。


バカだな、俺(笑)


バカだね、バカだね、バカだねあたし


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今年の桜は、あっという間に開花して、3日間でもう散っている・・・。

美しいですけど、悲しいですね。


毎年、必ず、立会川が暗渠になっている舗道を散歩します。


立会川は学芸大学の碑文谷公園から旧東海道の鈴ヶ森まで続くのです。


写真は東急目黒線の西小山のあたり。ここから、行こうと思えば、ずーっと海までも川沿いを歩けます。


住宅街を流れているのでほとんど暗渠で、さらにマイナーな路線のマイナーな駅を結ぶことから、人通りも少なく、桜を眺めつつ散歩するにはとてもいい道です。



桜のしたを歩いていると、色々な思いが心をよぎります。


満開になった翌日に、もう、はらはらと散り始めてる。




そのはかなさにふと、思い出した、美空ひばりの『さくらの唄』


さくらの唄/COLUMBIA
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なにもかも僕は なくしたの

生きてることが つらくてならぬ

もしも僕がしんだら 友だちに

卑怯な奴と 笑われるだろう


これは、美空ひばりが1976年に出したシングル曲

『さくらの唄』 作詞 なかにし礼 作曲 三木たかしの歌詞です。


この曲は、TBSのドラマ『さくらの唄』のエンディングテーマでした。


ドラマ『さくらの唄』は、TBSの水曜劇場で、『寺内貫太郎一家』と『ムー一族』の中間くらいに放映されました。1976年5月19日から1976年11月10日の放映です。


プロデューサーは久世光彦、脚本は山田太一。実にしみじみと味のあるいいドラマでした。今はなかなか観ることができません。


キャストが素晴らしくて、若山富三郎と加藤治子の夫婦には2人の娘がいて、長女は樹木希林(当時は悠木千帆)次女は桃井かおりです。


樹木希林と桃井かおりが姉妹という、もう、それだけで、毎週必ず観てたのですが、樹木希林は恋人の子どもを妊娠していて、その恋人が三輪明宏だったという、今のお三方からは考えられない設定です。


観たくなったでしょう?(笑)


再放送されるといいですね。このお三方は大御所中の大御所ですから、無理かなあ。



などと思いつつ、はらはらと舞ってきた花びらを見上げたら、上弦の月とジュピター(木星)が並んで輝いていました。


立会川とは、鈴ヶ森が刑場だったので、「立ち別れ」の場所だったことからそう呼ばれていると言われています。


なんだか、ますます、悲しくなってきました。


桜の満開の下に立つと、静かです。花びらが音を吸収しているのでしょうか。


というよりは、静けさが舞い降りてくるようです。



おやすみを言わず ねむろうか

やさしく匂う さくらの下で


さくらの下で






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