今から35年前、18歳で下関から上京したばかりの頃は、毎日がカルチャーショックでした。


恐らく今でも、地方出身者が初めて上京すると、驚くことが沢山あることでしょう。


ということで、田舎者の俺が、東京でびっくりしたことのベストファイブです。


5位 おでん

おらっちの方では、おでんのことを関東煮(かんとに)と呼んでいたのです。東京は関東ですから、当然、今まで食っていた関東煮=東京のおでんと思ったら、おーまちがい!


あのぷかぷか浮いている巨大なマシュマロみたいなもの(はんぺん)は一体何だーー???ちくわぶ???すじ????

今でも、この3つは食べません。


4位 地下鉄

地下鉄にびっくりしたのではなく、地下鉄が猛スピードでホームに入って来ることに腰を抜かさんばかりに驚きました。きっとこれは急行で、この駅は通過するのだろうと、5歩くらい下がって身構えていたら、ちゃんと乗車位置にぴったり止まるじゃあないですか!すげーなと、心から感心しました。


3位 ペリエ

これはフランスのナチュラル炭酸水で今でこそコンビニにもありますが、当時ペリエなるものは見たことも聞いたこともなかった。しかも1本1000円だった!


今は物価は狂っているので物価指数からは比較できませんが、体感価格は3000円くらいです。


ウェルチのグレープジュースもその位。でもウェルチは田舎でも飲んだことがあったので、ペリエなるものをどうしても飲んでみたく、あるとき買っちゃいました。


結果は・・・。今と同じ味です。どこにも納得できるものがなかった。今は正規でも350円。これを3000円で買いますか?


砂漠の中でなら買いますか・・・(笑)


2位 高級スーパーマーケット

貧乏学生のくせに青山3丁目にアパートを借りた俺は、一番最寄りのスーパーは今はもうないユアーズでした。ご存じかなあ?ユアーズの前にはハリウッドみたいにスターの手形があったのですよ。


次に近いのはピーコック。そして紀ノ国屋。スーパー=安いなんて図式は、一体どこに?

なんせ、1回買い物に行くと、バイトの日給×3くらいになるのです。


紀ノ国屋の肉売り場に100g7000円!という松坂牛がおいてました。35年前ですよ。あまりの値段に驚いて、子どもみたいに、しばらくつっ立って見てました。


自炊なんかできやしねー。本当に貧乏学生だったので、日清のソース焼きそばを箱買いして、毎日食べてました。3か月で飽きました(笑)


1位 とんかつ

どんな田舎出身かと思うかも知れませんが、18歳になるまでにとんかつという料理を食ったことがなかったのです(笑)


何故かというと、とんかつ屋がない。デパートの食堂や駅の日本食堂にはメニューとしてとんかつがあったと思いますが、そういうレストランではあえてとんかつを食べません、よね?


さらにびっくりしたのは、蕎麦屋にかつ丼なるものがあること。

今でこそ、田舎の蕎麦屋にもかつ丼がありますが、当時はなかったのです。


外苑前に長寿庵があったのですが、行く度に誰かが必ずかつ丼を食べているのを見て、東京の人って不思議だなーと思っていた。


ある時大学の友人に

「俺ん家の近所の蕎麦屋には、かつ丼があるんだぜ?」

「はい?」

「で、みんな食ってんの。蕎麦屋のくせに」

「じゃあ、お前はどこでかつ丼を食うんだ?」

「取調室?」

「ここじゃ、かつ丼は正式に蕎麦屋のメニューだ。他所で言うな」

と、めちゃバカにされました。


だって、かつ丼って、刑事ドラマで、最後に犯人をおとす場面で出される料理だと、本気で思っていましたもん。かつ丼が出ると、泣きながら自白する・・・一体、何故そうなるのか、さっぱり分からなかった(笑)


今なら、解りますよ。かつ丼って、男のソウルフードの一種ですよね。


実はアパートからすぐのところに、とんかつ屋「まい泉」の本店があったのですが、作りも立派でなかなか一人では入れなかった。


すぐ隣が銭湯だったのですよ。今も昔も銭湯が好きで、よく行ってましたが、あんなところに銭湯なんて、今では考えられないですね。


で、ある日、銭湯の湯船に浸かっていた俺は、「よし、これからとんかつを食ってみようか!」と意を決して、人生初のとんかつ屋に行きました。


あそこは、遠くからでもわざわざ行く場所ですからね。銭湯帰りは多分俺だけ(笑)

さすがに桶を抱えてではないですけどね、まあ、似たような格好です。

俺は生まれつき物怖じしないので、にこにこしながら部屋に通されました。


なにこれ、これがとんかつ?超ーうまい!


以来、とんかつが大好物になったのでした。俺が東京人になった第一歩は、銭湯帰りのまい泉本店からです。


なんと長い前置き。

五反田のとんかつ井泉のことを書こうと思っていたのです。それは次回に(笑)

88才になる母が白内障の手術のために2週間入院して、毎日見舞いに行ってます。


当の母は非常に元気なんだけど、心不全の父がなんせ母のそばにいたいらしく、毎日午後1時には、見舞いに出かける準備も整い、玄関で俺を待ってるんです。


それから、6時の夕食まで一緒にいて、家族3人で夕食を食べてから帰宅するのです。


つまり、俺は、毎日、6時間も病院に居なくてはいけない。病室はベッドだけで辛気臭いので、俺はいつも誰もいない談話室のような場所で、PCで仕事をしています。


父はというと、母のベッドのそばの椅子で居眠り。


母も退屈らしく、居眠りしている父を置いて、時々、俺が仕事をしている談話室のような場所にやってきます。どっちが病人だか分かりゃしねえ。


でも、そう先も長くないだろうし、好きなようにすればいいと思い、放ってます。


病院は高台にあって、玄界灘や九州の山々、そして関門海峡が見えて、素晴らしく景色がきれいです。


このような景色のいい場所に高齢で入院していると、色々と考えることもあるだろうなあと想像してしまいます。


母と2人だけの病院の談話室で、母がぽつりと言いました。


「あんた、香水をつける?」


「病院にはつけてこないけど、普段はつけるよ。ずっとシャネルだよ」


「私は、ずっとゲランのミツコよ」


「ふーん」


「若い時、銀座三越で買ったのよ」


「ふーん」


「ねえ、東京に帰る時に、あなたの香水ちょうだい?」


「なんで?」


「ベッドの枕元に置いておくわ。途中のでいいから」


「・・・いいよ」


うーん。なんと返事をすればいいのか分からない。「俺と一緒にいたいのか?」なんて、お袋には言えないし。なんだかさみしいなあ。そういうことを考えているのね・・・と、黙ってしまった。



上空をトンビが飛んでいる。


そういえば、ピレネー山脈に登った時に、1羽のワシが俺を狙って飛んでいたなあ・・・と、何故か思い出す。


なんでこの場面でピレネー山脈を思い出すのか、いぶかりながらも、記憶をたどる。


やっとの思いで下山して、ぼろぼろになって最後にたどりついた峠のレストハウスに、ちっちゃな汽車が走っていた。フランス人が喜んで、"le petit train"(ちっちゃな汽車という子どもの歌)を歌っていた。


あ、これは、リタ・ミツコの曲だ。ミツコ・・・ゲラン。母の香水!


連想ゲームか?


なんとも複雑な記憶回路です。頭の中をリタ・ミツコのPetit Trainが流れています。なんとなくふざけた曲です。大好きだけど、この場面には全くそぐわないです。


母が何か言ってるけど、全く耳に入って来ないし。


そぐわないかな?いや、まてよ、これはリタ・ミツコが亡くなったお父さんに捧げた歌だった。


こういう歌詞だった。


Le Petit Train/ Les Rita Mitsouko


翻訳/俺


ちっちゃな汽車、昔みたいに走っておくれ。


俺は、答えることができないけど。


誰もあそこで起こることは知らないし、


誰も見なきゃいけないものを信じてはいないけど。


ちっちゃな汽車、お前はどこに向かってるの?


死への汽車、そこで何をしてるの?


また、やってくるの?


ここをまた、通過するの?


俺は、答えることができないけど・・・。


おかあさん、シャネルの香水あげるから、まだ、死なないでね。









sozo shiodome 汐留に来るたびに、東京って凄いなあーとか、俺は未来に住んでるんだなあーとか、ジジくさいことを思ってしまいますが、そんな汐留シティーセンターのB2Fに、Bubby'sというアメリカンなダイナーがあります。


最近、ふと、日本には何故チェリーパイがないのだろう?と思いました。


ヨーロッパのバー兼食堂のようなところにも、アメリカのダイナーにも、必ずチェリーパイがあって、アメリカとヨーロッパでは形状が違うのですが、味は似たようなもので、頼むと必ず後悔したものでした。


ビリヤードとかサッカーゲームのガチャガチャうるさい中、食後、つい、ウエイトレスの言葉に乗って、スイーツなにがあるか聞くと、そのようなうらぶれた場所には、たいていチェリーとチョコとりんごのパイ・・・

しかない。

うーん、チェリーパイって、必要なのかね?


この前、アメリカ人と話をしていた時に、Madonnaの♪Bye Bye Miss American Pie~♪など、よく聞く”アメリカンパイ”とは、あれは、りんごかチェリーか?と聞きました。


パンプキンと言われてしまった!


「いや、アップルだろう?」

「かもしれない」

「チェリーは?」

「まずい」



汐留センター うーん、答えが遠いなあと思いつつ、アメリカ人と話すたびに、「君にとってのアメリカンパイとは何のパイか?」と聞き続けました。


誰一人、チェリーと答えた人がいません。俺は、チェリーと言って欲しいんだけど、なぜだー?

てか、じゃあ、なぜどこに行ってもチェリーパイがあるのかの疑問は解けないままです。


もう、ケンカ腰で


「なぜ、どこに行ってもチェリーパイがあんだよ!」

「いや、ねえし」

「あるよ!本当は、好きなんじゃないのー?」

「俺は/私は食べない」

「好きなくせに。何で食べないのー?あん?」

「人の好みをお前が決めるなや!」

「お前こそ素直になれ。好きなんだろ」

「あんな、ババくさいもの、自分は食わん」


わかった!ついに謎が解けました!おばあちゃんの食べ物なんだ。

ぼた餅みたいなもんかー!やっと腑に落ちた。

と、チェリーパイ=おはぎ説が成立したのでした。


さて、日本にはチェリーパイがないことは、アメリカにおはぎがないようなものかと、これでいいのかどうか知りませんが、無理やり納得したので、もう挑発的な日本人と思われずに済みます。


さてさて、そういえばBubby'sにチェリーパイがあった!と思い出し、早速食べてみたくなり、アメリカ人を誘いました。


「チェリーパイ食べに行こうよ!」

「おま・・・。どこまでしつこい性格なんだ」

と、言われつつ、Buddy's訪問。


ここはニューヨークが本店で、以前ニューヨークのBubby'sチェルシー店の近くに滞在した時に、よく朝飯を食ったところです。


朝8時ころから開いていて、本当に朝飯が美味かった。近所に朝飯のデリバリーをしていて、ひっきりなしにデリバリーの兄ちゃんたちが出入りして、朝飯のデリバリーって、いいなあ!と感心しましたが、それはそれは繁盛していました。


汐留の店も、内装はニューヨークと似たようなしつらえで、とてもいい感じなので、好きなカフェの一つです。


さて、チェリーパイを食べつつ、流れてきた曲は、ピンクフロイドの「Wish you were here」

Wish You Were Here [2011 - Remaster] (2011 - Re.../EMI UK
¥150 Amazon.co.jp

これは、1975年発売のピンクフロイドのアルバム炎~あなたがここにいてほしい』の収録曲、言わずと知れた、名曲中の名曲です。


sozo shiodome2

英語の勉強をしましょう。

何故、wish you are hereでないのか。

これは『仮定法』と習いますけどね、本当は『接続法』と言われるものです。



これはですね、いて欲しい人が、ここにはいないからです。




「お前がここにいたらなあ・・・」と歌っています。聴くたびに、なにか胸にジンと来ます。

40年も前の歌ですが、40年も生きていたら、「ここにいたらなあ・・・」と思う人くらいはいるものです。


欧米人でもないのに、チェリーパイにノスタルジーを感じたのでした。







バビーズ汐留


東京都港区東新橋1-5-2 汐留シティセンターB2F

Tel.03-6274-6857

営業時間

平日8:00~23:00(LO22:00)

土日祝10:00~23:00(LO22:00)





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