市川崑監督『病院坂の首縊りの家』のブログを書くのは二度目です。

 

最近、オヤジ友だちが七十年代の市川崑版金田一耕助シリーズに興味をもったらしく『女王蜂』を観たそうです。

 

よりによって『女王蜂』から観はじめるとはなんと通好みと思いましたが、彼は映画を観る前に俺のブログを読んでくれたようで、映画を理解するのに非常に役立ったと言ってくれたことに、とても気をよくしました。

 

これじゃああまりに手前味噌ですが、そのときふと思ったことは、俺なんかは根っからの横溝正史ファンで、公開当時も映画を観る前に原作を読んでストーリーを把握してから映画館に行ったものですが、それでも混乱したということです。

 

友人に次に観てもらいたい表題の『病院坂の首縊りの家』は、非常に家族関係が複雑ですが、物語りの根幹がその人間関係にあるので、きちんと理解しないと誰が誰なのかさっぱり解りません。原作に至ってはストーリーが次世代にまで続くので、さらに複雑です。

劇中、草刈正雄扮する黙太郎が金田一耕助に法眼家の家系図を見せるシーンがあります。それは会話だけでは複雑すぎて家族関係を表現しきれないからですが、これは観客にとっても同様で、このようなものを劇中に見せられても理解できるわけがありません。
 

実は原作中にも家系図が登場します。
俺も物わかりが悪い方ではないですが、原作にしろ映画にしろ、字面を追うだけでは無理なのです。

 ところで、最近、古谷一行版金田一耕助TVシリーズ『病院坂の首縊りの家』がDVD化されて、遅ればせながら初めて観たのですが、申し訳ないけどこれは酷い。なんと、結婚できないはずの二人が結婚してました、、、叔母と甥がです。


種違いの弟の子どもだって甥は甥ですよね。血が半分に薄まると叔母と甥は結婚できるのでしょうか????というか法の問題ではなく、しなくないですかい?

 

さらにTV版で原作から書き換えられた家族関係の設定において、誘拐された由香里と敏男は原作を踏襲して身体の関係を持つような演出をしていますが、あなた!、これじゃあ『悪魔が来りて笛を吹く』じゃないですか!あり得ません。滅茶苦茶です。パロディです。観なきゃよかった。

 

と、TV版『病院坂の首縊りの家』を酷評してしまいましたが、これほどまでに「法眼家」「五十嵐家」の家族関係は複雑で理解できないのです。

 

さて、市川崑映画版『病院坂の首縊りの家』に戻りますが、これも原作とは家族関係を変えています。しかしこの変更はさすが市川崑大先生です。

 

この変更によりストーリー全体が原作とは根本から主旨が変わり、法眼琢也の生家である「風鈴の家」が文学的意味を持ち、さらに犯人とこの一族の悲劇がより劇的に美しいカタルシスを生み出しました。

 

ただし問題は映画を一度観ただけでは決してその境地には至らないことです。

 

これがこの映画の評価を下げています。この映画のラストシーンは金田一耕助物すべての映像作品の中で最高に美しく感動的です。※厳密にいうと短いエピローグがあるので本当のラストシーンではないです

 

是非もう一度映画を観て車夫の三之助と一緒にむせび泣いてください。

 

そこでいいことを思いつきました!市川崑映画版『病院坂の首縊りの家』の法眼家・五十嵐家の家系図を作ったのです。

 

以下に貼り付けておきますので、よーくご覧いただいて、完全に相関図を把握してから今一度映画の鑑賞をしてみませんか?

 

ここでちょっと鑑賞の手引きを申し上げましょう。

 

弥生の死んだ夫である法眼琢也の歌集の題名は『風鈴集』ですが、その中で度々登場する「風鈴の家」とは、実は彼が生まれ育った生家のことです。

 

法眼家二代目鉄馬は正妻との間に子どもができなかったこともあり、宮坂すみを愛人として、原作では池之端に“しもたや”を建てて宮坂すみを住まわせました。琢也はそこで妾腹の子として誕生し、成人するまでそこで育てられました。

 

東北の南部地方生まれの鉄馬は軒に南部風鈴を飾り、琢也は自分の家を「風鈴の家」と名付けました。

 

後に琢也は正式に法眼家の養子になりますが、その条件として父親の鉄馬の妹、千鶴の娘の弥生と結婚しなければいけませんでした。琢也からみると叔母の娘ですから従妹です。

 

映画では弥生は佐久間良子が演じていますからとても美しい女性ですが、琢也は妾腹の子というレッテルから法眼家三代目になるためには弥生と結婚するしかありません。弥生はもっと確実に、そうするより仕方なく琢也と結婚しました。つまりこの夫婦間に真の愛など存在しなかったのです。

 

そこで琢也は自分の生い立ち同様に「風鈴の家」に愛人を囲います。それが山内冬子(萩尾みどり)です。

 

琢也が冬子と出会ったとき、冬子は未亡人で亡き夫の連れ子の敏男(あおい輝彦)を育てるシングルマザーでした。

 

琢也は冬子に自分の母親のイメージを投影したかもしれません。琢也は冬子を「風鈴の家」に住まわせ自分の生い立ちを再現させます。冬子との間に小雪(桜田淳子)が生まれました。

 

敏男からすると琢也も冬子も本当の両親ではないのですが本当の子供のように育てられました。妾宅とはいえ「風鈴の家」は二代にわたる孤独な人間たちの心のよりどころとなりました。琢也は愛人の息子、冬子は孤児、敏男も孤児、小雪は愛人の子。

 

南部風鈴は東北南部地方の特産品です。法眼家は南部藩の出身ですから、風鈴とは法眼家の象徴、家というものの象徴です。

 

風がそよぐ日は琢也が来てくれる、、、冬子はそう信じていました。

 

南部鉄の堅牢な存在感とはうらはらな風鈴の音色は琢也を含む「風鈴の家」の四人の心に癒しをもたらす唯一の存在だったことでしょう。

 

ところが東京空襲がすべてを破壊してしまいました。敵国の無慈悲な攻撃によって「風鈴の家」も焼失。琢也も病院坂の法眼病院と共に戦災に遇い、死亡してしまいます。

 

琢也も風鈴の家も失い失意の底にあった冬子、敏男、小雪の三人は東京を離れ疎開しますが、その後冬子は生まれ故郷の南部へ旅立ったあと、何故か一人で法眼家を訪ねます。

 

冬子は意を決して琢也の正妻の弥生に会いに行ったのです。

 

ところが運悪く弥生は留守でした。弥生の代わりに琢也と弥生の娘の由香里(桜田淳子、小雪と二役)が冬子の相手をします。

 

冬子はその時に初めて由香里と対面しました。

 

由香里はそのとき十六歳。多感な年ごろですが、何一つ不自由のない裕福な家庭のお嬢様です。すぐに冬子が亡き父琢也の愛人だったと理解して、冬子を激しく罵ります。

 

冬子は正室の娘由香里が自分の娘小雪と瓜二つであることをそのときに初めて知りました。

 

実は冬子は或る理由があって断腸の思いで法眼家を訪問したのでした。

 

そこで見たものは自分の娘と瓜二つの由香里です。すでに破滅に瀕していた冬子は由香里と会ったことで、さらに深い絶望の淵に沈没してしまいます。そしてそのまま、琢也が死んだ病院坂の旧法眼邸に行き、そこで首を縊って自殺してしまいます。

 

以来、旧法眼邸は『病院坂の首縊りの家』と呼ばれるようになったのです。

 

敏男と小雪は法眼家とは関わることなく、つまり由香里とも会うことなく、それぞれの場所で成人します。

 

映画はここから始まるのです。ここからはどうぞ映画でお楽しみ下さい。


上記のことは劇中に回想シーンとして登場するのですが、やはりそれだけでは不十分です。

 

金田一耕助は事件の早い時期から、琢也の作った詩集『風鈴集』を取りざたします。それは生首が風鈴に見立てられて、琢也の作品と思われる短歌の書かれた短冊が下がっていたからです。

 

その後も何度か琢也の短歌が問題になるのですが、映画では曖昧なのですが、そもそもの琢也の短歌は妾腹だった自分の生い立ちを詠んだものなのです。

 

原作で金田一耕助が法眼家を訪れたときに弥生が聞かせた琢也の句を紹介しましょう。

 

風鈴は哀しからずや
今宵また
父は来たらず、母は語らず

 

この句の父とは琢也の父の法眼鉄馬、母とは宮坂すみですが、映画ではそれが混乱します。琢也の句はそのまま冬子、敏男、小雪の境遇にも一致するからです。

 

映画では琢也のことはあまり詳しくは語られていません。既に他界しているので回想シーンに数回登場するだけですから、映画的には共感の薄い存在になっています。


しかし、そもそも何故この悲劇が起こったかを考えると、これは琢也が自分の生い立ちという歴史を繰り返したからです。

 

以前書いたブログで俺は琢也もまた悪魔的男性だと書きましたが、琢也は抗いがたい運命の力にどうすることもできなかったのかもしれません。

 

そう考えると、琢也はふと川端康成の『雪国』の主人公とイメージが重なります。

 

劇中、金田一耕助と黙太郎が肩を並べて夜道を散歩するとても印象的なシーンがあります。金田一が南部に風鈴の謎を探しに旅立つ前日のシーンです。

 

「今頃は僕の生まれたところはもう雪だろうなあ」


月のない夜道は藍色に暗く染まっていますが、金田一に語られた故郷の雪のイメージが、夜の底を白くしていくのです。

 

 

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女王蜂

1978年(昭和53年)2月11日公開

原作:横溝正史作

製作:東宝映画。配給:東宝

監督:市川崑、主演:石坂浩二



女王蜂は、市川崑監督、横溝正史シリーズの第4弾です。

市川崑監督による、横溝正史シリーズは、以下


1.犬神家の一族(1976年〈昭和51年〉10月16日公開)
2.悪魔の手毬唄(1977年〈昭和52年〉4月2日公開)
3.獄門島(1977年〈昭和52年〉8月27日公開)
4.女王蜂(1978年〈昭和53年〉2月11日公開)
5.病院坂の首縊りの家(1979年〈昭和54年〉5月26日公開)
6.犬神家の一族(2006年〈平成18年〉12月16日公開)


当時、女王蜂の公開前、「前3作の犯人がすべて出演する!」という、ものすごい反則なプロモーションをしていました。

それだけこのシリーズはヒットして、沢山の観客を動員し、前作の犯人が誰かを隠す必要もなかったのかも知れません。


その前3作の犯人とは、

岸恵子:神尾秀子
司葉子:蔦代
高峰三枝子:東小路隆子

日本の映画史に燦然と輝く錚々たる大女優達です。


この3名が同時に出演する場面は、東小路家のお茶会の席と、映画の終盤に金田一が開かずの間の謎を解き明かす悲劇のクライマックスシーンだけです。


原作では伊豆の大地主である大道寺家が源頼朝の血筋という伝説を持ち、代々美しい女性が当主となる家系の設定です。男を引き寄せては君臨し子孫を残す女性当主の比喩として、女王蜂という言葉が頻繁に出てきます。


市川崑の映画では、この女王蜂らしい役柄は、唯一、東小路家の当主である高峰三枝子でしょうか。


映画ではそうとは言っておらず、原作と同様に大道寺琴絵(萩尾みどり)と、その娘でこの映画がデビューの大道寺智子(中井貴恵)が女王蜂であると言っていますが、ストーリー上ちょっと無理があります。


この映画は当時も今も賛否両論があって、評価はいまいちだったり曖昧だったりします。


それは恐らく、ひとえにこの『女王蜂』というタイトルが映画の内容と不一致なせいです。


原作は横溝正史の作品の中でも、ミステリーとして非常によくできた力作です。これは、20年前の密室殺人が開かずの間になっていて、そこを開けることですべての矛盾が一気に解決するという、わくわくするようなミステリーの王道なので、原作に敬意を払って、このブログではネタバレを極力しないように努めます。


ところで、俺はすべての金田一シリーズ映画の大ファンですが、この『女王蜂』はその中でも極めて美しい映画だと思っています。


銀蔵(仲代達也)は、20年前、大学生の時、親友のひとしと一緒に天城を旅行して、旅の途中で大道寺家に宿泊し、琴絵と出会います。


ひとしと琴絵は恋に落ちて、2人は滞在中に結ばれます。旅先での一夜限りの恋は、琴絵が妊娠してしまうので、二人の恋は愛へと変わり、ひとしは代々伝わる婚約指輪を琴絵にあげて、結婚の約束をします。


ところが、それがひとしの母の逆鱗に触れて婚約を反故にし、あげた指輪は取り返すように、ひとしに命令します。


そして、ひとしは指輪を取り返すために大道寺家を1人で訪れます。大道寺家を仕切る家庭教師の神尾秀子(岸恵子)は、琴絵とひとしと3人で、後に開かずの間となる唐風の部屋にて、婚約反故の密談を始めます。その最中に、神尾秀子は心配した琴絵の父に呼ばれ、2人を唐の間に残して一旦中座します。


ひとしはこの時とばかりに、母は必ず説得するがとりあえず婚約は白紙にして指輪は返してほしいと、琴絵に懇願します。


一方、神尾秀子は琴絵の父親と、ことの成り行きを案じていた時、突然、辺りをつんざくような琴絵の悲鳴がとどろきます。


急いで、唐の間に駆けつけると、部屋は内側からかんぬきがかけられてドアが開きません。


ドアを叩き、なかの様子を伺うと、なかから琴絵がかんぬきをあけて、放心した状態でドアを開け、そのまま気絶してしまいました。


なんと、部屋にはひとしの死体がありました。神尾秀子が唐の間を中座してから、わずかの間の出来事です。唐の間ではひとしと琴絵が2人きりでいたわけですから、この状況は、どう考えても、琴絵がひとしを激昂のあまりに殺したということです。


翌日、ひとしの死体は崖の下で見つかります。崖から転落したという事故死として、殺人は隠蔽されたのでした。


殺人があったときに家にいたのは、神尾秀子、琴絵の父親、お手伝いの蔦代だけです。この3人によってひとしの殺害は隠蔽されたのです。


琴絵の恋はこの唐の間の事件で、一気に不幸な色彩に塗り替えられてしまいました。琴絵はショックのあまり前後の記憶が不覚となり、唐の間に錠をかけて、鍵を隠し、記憶と共に封印してしまいました。彼女が現実を保つことができたのは、愛したひとしの一粒種を妊娠していたことでしょう。


やがて、ひとしの残した智子が生まれ、琴絵と神尾秀子は智子を愛情豊かに育てます。


智子が3つになった時。事件から4年目。大学を卒業し就職も決まったひとしの親友の銀蔵が、琴絵を嫁に欲しいと、大道寺家を訪れます。


ひとしの殺人を隠蔽した大道寺家は銀蔵の申し出を受け入れて、銀蔵は大道寺家の婿養子になり、大道寺を名乗ります。


琴絵は、銀蔵と結婚したにもかかわらず、智子と神尾秀子とともに天城に残り、京都に住む銀蔵の元へはお手伝いの蔦代(司葉子)を送ります。


そのシーンは回想シーンで登場します。琴絵は蔦代に「わたしのわがままを許して下さい、旦那様(銀蔵)のお世話をお願いします」と申し訳なさそうに懇願しますが、蔦代は「いいえ、わたくしは・・・、嬉しいのです」と頭を下げます。


それを、神尾秀子は蔦代の横で、蔦代をなんとも複雑な表情で見つめます。


実は神尾秀子は銀蔵のことを愛していたのです。

それは、銀蔵とひとしが初めて天城を訪れた時、琴絵とひとしが恋に落ちたのと同様に、神尾秀子は銀蔵に恋に落ちたのでした。


ひとしは琴絵と結ばれます。神尾秀子は銀蔵とは結ばれませんでした。


ひとしと琴絵の恋は悲劇に終わりましたが、神尾秀子は銀蔵への恋心が消えることはありませんでした。


片思いのまま、再び現れた銀蔵は神尾秀子の前で琴絵にプロポーズしました。


琴絵はそのプロポーズを受けながらも、ひとしの一粒種の智子を、ひとしとの一夜限りの愛を永遠の愛として守るために、銀蔵の元にもと芸者で使用人の蔦代を送るわけです。


再び、神尾秀子の前で。


世話をするというのはお手伝いと言う意味ではありません。文字通り、銀蔵の下の世話もする妾として送り出したのです。


蔦代役の司洋子は、さすがに大女優です。


「いいえ、わたくしは喜んでおります・・・ポッ」と、もと芸者の色香を漂わせつつも、年増女の純粋ではないエロさを滲み出しながら、さらには「私のような身分の女にそのような大役を、もったいなく存じます・・・」と泣いてみせる、素晴らしい偽善者ぶりを、難なく演じています。


そんな演技のできる女優はいません。何よりも、役の設定の理解が非常に深い!本物の女優とはこうでなくてはいけません。


ところで、神尾秀子の岸恵子も素晴らしい。

彼女にとっては、銀蔵への愛が2度も裏切られた自分の報われない愛に、胸をかきむしりたくなるような出来事のはずです。


4年にわたる銀蔵への片思いの果てには、心は結ばれなくてもいい、せめて身体だけでも結ばれたいと思うほどにデスパレートな恋心が募っていたかもしれません。


それを、もと芸者の使用人にも奪われる。どんな気持ちで蔦代が泣いてみせる姿を見たことでしょうか。


岸恵子は撮影当時、フランス人の映画監督と結婚してパリのサンルイ島に住んでいました。山口百恵の赤いシリーズで、パリのおばさまというと、必ず『パリの空の下セーヌは流れる』のテーマ曲が流れて登場したものです。


神尾秀子はそんなモダンな趣をもつクールな女性として描かれています。内に秘めた銀蔵への恋心は誰にも見せたことがありません。


琴絵は以来、ひとしを思い続けて、ついには病いに伏せて死んでしまいます。神尾秀子が琴絵の代わりに智子を育てます。


その間、銀蔵は蔦代との間に1子設けます。京都と天城をおそらく行き来しながら現在に至っているのでしょう。智子は銀蔵となさぬ仲だと知っていますが、銀蔵は智子を非常にかわいがります。親友ひとしの子どもですが、同時に愛した琴絵の子どもでもあるのです。


さて、その銀蔵ですが、彼の愛も決して報われてはいません。先ず、20年前。図らずも親友と同時に琴絵に恋してしまい、しかもそれはその場で親友に負けてしまった。


旅行中に初対面で恋に落ちた琴絵が、まさか同行の親友のひとしと、自分に隠れて肉体関係を持ったとは知らなかったことでしょう。


琴絵の妊娠が発覚すると、当然、ひとしは親友の銀蔵に打ち明けたことでしょう。その時の銀蔵の胸の内は想像がつきます。男同士ですから、当然、いつやったのか!?と聞くはずです。銀蔵はそれを知って自分のはかない恋心が無残にも打ち砕かれて、嫉妬や憎悪が渦巻く暗闇にへと落ちたことでしょう。


ところが親友が(世間的には)事故で他界して自分に思いがけないチャンスがやってきます。銀蔵は3年の歳月をかけ、時のくるのを待って、琴絵にプロポーズします。大道寺家はこれを受け入れるしかなっかたとはいえ、琴絵の心は最後までひとしにあった。銀蔵と琴絵との間にセックスがあったかどうかも疑問です。


銀蔵からすると、ひとしの存在が始終頭をよぎり、これほどまでに愛したいまや自分の妻をわが腕に抱く瞬間さえも、耐えられない敗北感にさいなまれたはずです。これで勃起するならば、それは既に愛ではなく、執着でしょう。


挙句の果てに、もと芸者の使用人蔦代をあてがわれるわけです。どんな思いで毎日を過ごしたことでしょう。


この二人、神尾秀子と銀蔵は、実によく似ています。ともに愛する人と結ばれない報われない愛に生きています。


神尾秀子は琴絵が死んだあと、智子を育てますが、それは智子や琴絵への愛情とともに、戸籍上愛する銀蔵の娘だからという気持ちもあったはずです。その愛する銀蔵は、蔦代と京都でよろしくやっているのです。


銀蔵は銀蔵で、これほどまでに愛した琴絵は死んでしまい、成長と共に琴絵の面影が濃くなっていく智子を愛さずにはいられないにも関わらず、本当の父親である亡くなった親友のひとしの面影を決して消すことはできないのです。



すでに琴絵もひとしもこの世にいないために、この二人の愛の敗北はどうすることもできません。

20年にわたる2人の報われない心は、やがて破滅的な終焉へと向かってしまいます。


映画『女王蜂』はこの2人の報われない愛の物語です。なんと悲しく、救いのない話なのでしょう。


さて、琴絵が銀蔵と結婚した後も銀蔵に妾をあてがって死んだひとしに貞操を守り、やがて衰えて死んでいく姿を見た神尾秀子は、琴絵がそこまで愛していたひとしを、いくら感情が激昂したとはいえ、殺すはずはないと思い始めます。


唐の間で殺人が行われたとき、神尾秀子は唐の間に二人を置いて中座しました。次の瞬間には悲鳴が聞こえ、内側からかけられた部屋の中に琴絵とひとしの死体を発見したわけですから、状況的には琴絵以外にひとしを殺せた人はいません。


でも、もし、琴絵が殺したのではないとすれば・・・。


この「もし」が成立するとすれば、ひとしを殺す動機があった人間はただ一人しかいません。


ただし、この仮定を成立させるには、琴絵も唐の間を中座したことを証明しなければなりません。これを証明できる証拠は何もありません。証拠がなければ、単なる「たら・れば」の話です。


神尾秀子はこの疑惑を、当然、銀蔵に聞くことはできません。


20年という歳月は誰にも公平に訪れます。心はみずからを癒し再生させるものです。


神尾秀子と銀蔵の2人は、お互いに向き合うことは1度もなく、常に銀蔵は亡くなった琴絵の、神尾秀子は銀蔵の背中を見ていました。やがて日々に追われ、燃えたぎっていたそれぞれの炎も、ヘパイトスの火種のように、静かに、しかし消えない炎になりました。


この映画で最高に美しいシーンは、日本映画史上でも、最高に美しいシーンの一つだと思っています。



それは、神尾秀子と智子が、天城の大道寺家から京都の銀蔵の家に移り住んだ後の、東小路(高峰三枝子)主宰のお茶会の前日のこと。



金田一はひとしの母親が東小路であることを突き止めて、依頼人の弁護士と一緒に東小路家を訪れます。


ここで、初めて、ひとしが元公家の名家の出身だったと判ります。


東小路家からすると、旅先で知り合った現地の女性と、たった一度セックスをしてしまっただけで運悪く妊娠してしまい、しかも自分の大切な指輪を渡して婚約してしまうなど、もってのほかだったでしょう。母(高峰三枝子)の怒りは、ごもっともでしょうか。


映画は金田一がひとしの母と話すシーンと、銀蔵と神尾秀子が、2人きりになった銀蔵の家で、お茶を飲みながら話すシーンが交互に同時進行します。


もっとも美しいシーンとは、銀蔵と神尾秀子が2人きりで話す方です。


この映画は139分の長尺の映画ですが、このシーンは1時間と7分、映画のちょうど半分です。


ここからの後半にも、新たに2つの殺人が起こるのですが、初めてこの映画を観る人も、ミステリー好きならば、誰が犯人か分かるだけの情報は既に与えられたことに気づくことでしょう。


金田一シリーズも第4作になると、犯人探しというミステリーとしての趣は半分捨てられているようです。これが、この映画の評価を下げているのですが、それではあまりに監督の意図を理解していないというものです。



薄暗い純日本間。対比的に進行する東小路の日本間は見事な書院作りなのに対して、銀蔵の自宅は、ふすまと障子に閉鎖された6畳の居間です。


二人はお茶会の話をします。神尾秀子はこの段階では、ひとしが東小路の出身だったとは知りません。



「あなたと東小路家は、どのような繋がりなの?」

神尾秀子は、まるで世間話のように、かつ、感情を隠して、とつおいつ銀蔵に尋ねます。

「君は何故そんなことを知りたいのか?」

「わたしは、智子さんの幸せを願っているだけです」


東小路家のシーン。


再び銀蔵の家。

お茶を飲む2人の沈黙を崩して、

「結局、なにも、しゃべってもらえなかったわ・・・」

秀子は畳を見ながら、ぽつりとつぶやきます。


「・・・だからと言って、どうにもできないことがある」


この銀蔵の突然の言葉で、二人は見つめあいます。絹糸のような緊張感が走ります。秀子の顔。銀蔵の顔。


おもむろに銀蔵は秀子の手を握ります。そして、秀子の手を引いて彼女を抱き寄せました。


これでこのシーンは途切れ、何事もなかったかのように翌日のお茶会が始まります。


このシーンがいかに美しくも切ないか是非映画をご覧ください。俺のつたない文才では、到底語りつくせません。


市川崑は素晴らしい。そして淡々としゃべる仲代達也も岸恵子も真の役者です。この二人の決して報われることのなかった壮絶な愛憎劇は、20年の歳月の後、破滅という運命にもはや抵抗することを止めてしまったように見えます。


この途切れたシーンはなんと金田一が唐の間の謎を解き明かしたクライマックスの後に再開されるのです。


素晴らしい手腕です。その時になって初めて、お茶会の前日の2人の会話で監督が何を伝えたかったかが分かるのです。


秀子は薄暗い和室の中、銀蔵に引き寄せられ、20年間で初めて銀蔵の胸に抱かれました。


あれほど愛した男の胸です。どれだけこの瞬間を待ち焦がれていたか。そして、なんと運命は2人にとって残酷だったか。


秀子を抱いた銀蔵が言います。

「私は、智子を殺そうとしたことがある。でも、できなかった。いつも琴絵が守っている」


抱き合う二人。

「なぜそんなことをするのか、君は知りたくないのか?」

「もうわたし、なんにも知りたくなくなりました」


「君の気持ちは、以前から知っていた。私も好きだ。しかし、どうにもならないんだ」

「あなたが遠い目をするとき、何を思っているの?」

「海だ。暗い海だ」


能登の暗い波打ち際。荒波。


「あなたのふるさとの海?」

「君は何も知りたくないと言ったはずだ・・・」


そして愛し合う二人。


この瞬間に2人は同じ船に乗っていたことに気づいたのです。

それぞれが実はすべてを知っていたことにも気づきました。

それぞれが知っていることを知っていることに気づきました。

そして、この船はやがて沈むことにも。


そんなことは、科白では何一つ語られていません。


しかし、この67分のシーンは2人が逆うことのできない破滅を受け入れ、運命と共犯者となった瞬間なのでした。


それは愛でしょうか。


そうだといいですが・・・。俺には分かりません。


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