続きを読みます。

 いよいよ,ペストの猛威もピークを過ぎ,沈静化に向かっていきます。

 

 さきに,急激な減少が最初週報に報じられるとともに,もう大丈夫だ,という考えがいわば稲妻のように瞬時にロンドン中に広まり,人々の頭はそれに取り憑かれてしまった。その結果,その後二回分の週報に現れた死亡者数は割合からいって一向に減じてはいなかったのである。つまりその理由は,彼らが今までの用心も注意も慎重さもことごとくあげて捨て去って,もう病気にはかからぬ,かかっても死ぬことはない,と高をくくって自ら危ないところに飛び込んでいったことにあったようである。

 医者たちはもちろんこういう浅はかな考え方に対して全力を上げて警告した。そして心得書を印刷して,市民はもちろん,郊外に至るまでくまなく配布し,死亡者は減りつつはあるが,まだなお自粛生活を続けてもらいたい,平生の日常生活においても極力用心を続けてもらいたいと勧告した。

 

 9月最終週にはペストによる死亡者数が減少し始めます(Part 13参照)。この頃になると,発症から死ぬまで2・3日だったのが1週間を超えて生存するようになり,また致死率も80%近くだったものが40%程度まで低下したとデフォーは記しています。原因はよくわかりませんが,もしかすると集団免疫の獲得に至ったのでしょうか。

 

 安心しきったロンドン市民は,もう感染予防に注意を払わなくなりました。医師は引き続き自粛生活を継続するよう訴えますが,誰も聞く耳を持ちませんでした。その結果,死亡者数の減少ペースは鈍化します。

 

 世界各国でも,ロックダウン解除後にマスクを付けずカフェで向かい合って談笑するなど,前と同じライフスタイルに戻っている国も見受けられます。再流行するのもそう遠くないのではないかと感じます。日本では,さすがに外を歩く時はマスクを付けてますね。外出自粛制限が撤回されたので,夜の繁華街に繰り出す人も多く見られました。法的制約もなく,経済も回さなければならない以上,このような人出は歓迎すべきことでしょうが,一定程度の感染者を出すことも覚悟しなければならないと思います。

 

 

 

 ロンドンのペスト流行が下火になったという知らせは,ロンドン市内のみならず郊外に住む人々にも伝わりました。特に郊外に避難していたロンドン市民にとっては待ちに待った知らせです。一斉に疎開先からロンドンに戻り始めます。ただ,残留組のロンドン市民が,郊外に逃亡したロンドン市民(特に医師や牧師)に向けた敵意は相当なものでした。

 

 まだ回復もしていない患者を置き去りにして逃げた医者に対する非難たるや,まさに轟々たるものがあった。そういった医者も疎開先から帰京したが,彼らを誰一人として相手にするものはなかった。逃亡者,というのが彼らの綽名だった。その玄関にはしばしばビラが貼られ,それには次の文句が書かれていた。曰く,「ココニ貸シ医者アリ」。・・・ 同じようなことが,やはり逃げ出した牧師の場合にも生じた。市民のそのような牧師に対する風当たりは誠に凄まじく,落首や風刺が盛んに作られ,その教会の入口には次のような文句が書かれたりした。曰く,「貸シ説教壇アリ」。時としてもっとひどいのには「説教壇売リマス」というのがあった。

 

 当時のロンドン市民にとって,危難に立ち向かうに当たり,医者同様に牧師も欠くべからざる職業人だった,ということでしょう。ある意味で期待の裏返しだったのだと思います。宗教が心の支えになっていたのだと思います。しかし,褒められた行いとはいえないけども,少しかわいそうな気もしますね。

 

 デフォーも,ペスト禍のロンドンでは鳴りを潜めていた,こうした対人関係の対立や敵愾心がペストが落ち着くとともにまた露見してきたことを非難しています。当時のイングランドでは,宗教対立が激化しており,英国国教会派の牧師は疎開先から戻ってくるやいなや,それまで空席となった教会の説教壇を守ってきた非国教会派の牧師を追い出し,弾圧し始めます。非国教会派の牧師も,祈りが必要とされる危機を前に職務を投げ出したと国教会派の牧師を詰問し,更に対立は先鋭化していきます。

 

 

 しばらくすると,今度はロンドンから郊外に飛び火したペストが猛威をふるい出します。

 

 ところで,ロンドンがそんなふうになったころ,こんどはイギリス各地が疫病の激しい攻撃にさらされていた。たとえば,ノリッジ,ピーターバラ,リンカン,コルチェスターその他が流行地となった。・・・ (市当局は)ロンドンの人々に向かって,以上の流行地域からやってきたとわかった人を自分の家に泊めたり,歓待したりしないようにと,警告を発してその注意を促すにとどめた。

 

 ロンドン市民が郊外に避難した際に,郊外の村々が立ち入りを禁じたのと同様,ロンドンも同様の措置をこうじようとしました。しかしながら,来訪者がどの村から来たのか見分けがつかなかったため,やむを得ず検問を張るなどはやらずに,訪問を受けたロンドン市民の判断に任せることとなりました。

 

 ロンドン市民の中には,疫病蔓延する市内から郊外へ脱出して命を繋いだ者も多かったはずですが,反対の立場になるとやっぱりこういった冷酷な措置をとることになるんですね。まぁ,県境の検問は現代にも実施される措置なので致し方ないのでしょう。

 

 

 

 その後も,ペストによる死亡者は減少し続け,11月に入ると週に905名,12月には週に2~300名まで減少しました。ペスト禍をやり過ごし,ロンドン市民にはどのような変化があったでしょうか?

 

 ロンドンが新しい相貌を呈するようになったのだから,市民の態度も一変した,と本来ならば言いたいところである。自分が難を免れたという深い感慨をその表情に歴然と示している多くの人々がいたことは,疑うことのできない事実であった。・・・ 事実また,この災禍に見舞われた時期のロンドンの市民は,まさしく敬虔と呼ぶにふさわしいものであった。しかし,個々の家庭や,個々の人間の顔にそういった感謝の念が見られはしたが,それを除けば,市民の一般的な生活態度は昔通りであって,ほとんど何の変化も見られなかったのである。

 

 これだけの災禍に見舞われたロンドンですら,市民生活にはそれほど変化は見られなかった。現代世界もコロナウイルスを経験し,大きな変化が起こるのではないかとまことしやかに語られる事が多いのですが・・・,本書を読んでみても,またスペイン風邪後の経緯を見ても,本当に生活にどれほどの変化が見られるのかはわかりません。

 

 緊急事態宣言を受け,各社とも在宅ワークを導入しましたが,これはアフターコロナの世界でも継続されるのでしょうか。私個人としては通勤時間が自由に使え,なおかつ煩わしい会社の人間関係から一時でも離れられるから,在宅ワークはぜひ継続してほしいのですが。

 

 

 

 疫病が落ち着くと,次に新たな問題が生じました。疫病で全滅した家屋を,再度人が住めるようにするにはどうしたらよいか,という問題です。

 

 一般的にいえば,やはり市民は非常に用心深く,各自その家を清めようとしてなんらかの手段を講じた。彼らは思い思い,その締め切った部屋の中で香料だの,香だの,安息香だの,樹脂だの硫黄だのをもうもうと燃やし,一応燃えきったところで火薬を爆発させて部屋の空気を一気に外へ追い出してしまうという方法をとった。・・・ ついに家まで燃やしてしまい,全部灰燼にしてしまってはじめて完璧な消毒を全うしたという人が2,3あった。

 

 家の中で火薬を爆発させたらそりゃ火事になりますよ(笑)。当時のロンドンの人々もなかなかハジケてますね。いや,当時の人は誰ひとりふざけてやっていたわけではないのでしょうが。

 

 この翌年,1666年には,ロンドン市の大半が焼け出されるという「ロンドン大火」が発生します。ある人は,これによってロンドンのペストは完全に消毒されたと述べていますが,デフォーはこの説を否定しています。焼け残ったエリアでもペストは発生しておらず,またペスト鎮静からロンドン大火までの9ヶ月間,ペストの勢いは衰える一方であったから。

 

 

 

 ここに,1665年のロンドンで発生したペストの記録は終了します。デフォーは,ペストの病勢の弱まりを神の御業と捉え,最後まで人間になすすべはなかった,と言っています。

 

 東日本大震災のときもそうですが,現代では全ての災異に対し,人間は科学技術の力で対応しうるという幻想を頂いているように思われます。今回のコロナウイルスもそうですが,必ずしも人間の力が及ばないイベントが発生した際に,人間はそれをどう受け止め,どう解釈するか,そしてそれを後代にどう引き継ぐかというのは,非常に現代的な課題として残っていると思います。

 

 「大きな物語」が信じられなくなったポストモダンの現代において(既にポストモダンという言葉も廃れましたが),大きな物語としての宗教が役割を果たす領域があるとすれば,まさにこのようなイベントに対してだと思います。

 

 

 さて,全19回でダニエル・デフォーの「ペスト」をご紹介いたしましたが,いかがでしたでしょうか。

 コロナウイルスに苦しむ現代の私達にとっても,非常に参考になる書だと私は思いました。ぜひ皆さんも興味があれば一読いただくことをおすすめいたします。