亜流は亜流にしかすぎません。そこから脱して、本物の自分流をつくらなければならない。
もちろん、ゴッホや一流の歌手をマネするために努力することは、決してムダではありません。けれども、それら先達たちのよさはしっかりと身につけながらも、今度はそれを越えて自分をつくりあげていくこと、それが「生きること」だと私は思っています。
そしてこのような亜流に陥らないために必要なもの、モノマネだけに終わらないために、どうしても必要なもの、それが「教養」なのです。
教養が広ければ広いほど、行き詰ったときのヒントを広く求めることができるからです。そして、そこから自分なりの価値観や考え方を明確にしていく。
そうして初めて、「自分の型」が見えてくるのだと思います。私が口を酸っぱくして、教養、教養と言っているのは、こういう理由からなのです。
(平山郁夫著『ぶれない』より)
何度も何度も、このブログで紹介している平山郁夫さんの『ぶれない』という本。
時々、本から抜き出した文章に触れると、心が引き締まる思いがします。
すぐに忘れちゃうからね。
人まねだけで終わらず、確固とした自分を生きるため…
教養はどんな人にも必要なんですね。