本博後~福島震災復興ツアー | 日本酒と甘酒 糀素弓(はなそゆみ)の一歩一歩

日本酒と甘酒 糀素弓(はなそゆみ)の一歩一歩

選りすぐりの日本酒や元気の素・甘酒で、疲れた心を休めてほしい。。。そんな願いを込めて2018年12月にオープンしました。
まだまだ赤ちゃんの店なので、皆さまから育てていただけるとありがたいです。

先月の福島本博の次の日、
私は森崎英五朗氏と藤田大氏、 そして本博の実行委員長の三浦さんに
震災後の福島(川俣町~飯館村~相馬市~富岡町)を
フルコースで案内していただきました。
藤田大さんは、津波と放射能の大きな被災地、富岡町に小さい頃から住んでいた人です。
今、こんな活動をされてます。→旧警戒区域にいてみっぺ


震災後の現状は、写真で見たり実際に見に行った人の話を聴いたりして、
知ってはいました。
知ってはいたけど、実際に自分の目で見て肌で感じるのは、全く違った感覚がありました。

長くなりそうですが、お時間のある方、お付き合いくださいませ。

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まずは、川俣町の「羽山の森美術館」
ここは、133年間使用した旧福沢小学校の校舎がまるごと美術館になっています。

震災後、川俣町を元気づけようと
ここに有名漫画家が集まってサイン会をしました。

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漫画好きの人にはたまらない、素晴らしい色紙が飾られています。
これ、入館料タダですよ!

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大好きな西原さんの色紙。
「おかえりなさいの 待つ家へ。」
じぃんときます。。。

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校庭には、このような放射能測定器が。
これは、福島のあちこちにありました。

私たちは、川俣町を後にし、飯館村を通って浜通りへ向かいました。

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飯館村は、家はありますが放射能が高くて誰も住んでいない地域です。
あちこちに、除染した土や草を入れた袋が積み重ねてありました。

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浜通りは、放射能はそう高くありませんが、作物は全くといっていいほど作っていませんでした。

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こちらは、津波の警告をしながら殉職した二人の警官の乗っていたパトカー。
このままにしてありましたが、移転して残すことに決まったそうです。

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帰還困難区域。

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ここは、富岡の観陽亭から眺められるローソク岩。


元はこんな岩でした。
津波で、岩が崩壊しました。

富岡町は、最大21メートルの津波が押し寄せたそうです。

富岡の駅に行きました。

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駅周辺はこんな感じでした・・・
まだまだ、進んでいない、、、取り残されているといった感じ。。。

富岡の、お寺に連れて行ってもらいました。

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墓石が横に置いてあります。
地震で墓石が崩れ、めちゃくちゃになっていたのですが
お寺のお坊さんと地域の人たちが、もとの場所に戻したのだそうです。

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ここは、富岡町文化交流センター。
除染は済んでいるんです。徹底的にしてあるそうです。
それなのに、この数値。。。

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桜祭りのポスター。

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開催されることなく、時は止まったままです。

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富岡町の商店街の美容室。
時計は、津波がきた時間で止まっています。

私たちは、藤田大さんの住んでいた家に連れて行ってもらいました。

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富岡の町は、除染作業員の姿だけが見られました。

藤田大さんの家は、リフォームが終わったばかりで、
まだローンを払い続けているのだそうです。

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取り残されたパキラ・・・

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震災の前日、息子さんの11歳のお誕生日だったのだそうです。
お姉ちゃんが書いたこの紙は、そのまま、家に残っていました。

家に一時戻れるようになったとき、
奥さまはこれを見て泣き崩れてしまったそうです。。。。

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こちらは、大さんの会社の事務所。
建物はしっかりしていたので、いつかきっと事業を再開できると思ったのですが
長い間放置していたので
中が雨漏りして、もう使える状態ではなくなっていました。


震災から3年8ヶ月の月日が流れ、
復興が着実に進んでいる地域と、
復興作業はしているものの先が全く見えない地域とがありました。

今回、案内してくれた藤田大さんは、
きっとまだ癒えない傷をえぐられるような気もちだったに違いないと思います。

実際にそこにいて惨状を目の当たりにした人たちの話を直接聞き、心に触れたら
私の方が押しつぶされそうになりました。

藤田大さんの言葉が、とても印象に残っています。

「海のバカ野郎~!」って言うじゃん。
自然がさ、相手だったら、そりゃ辛いけどさ、どうしようもないじゃん。
いつか、それを飲み込める時が来ると思うんだよね。
それがさ、俺たちは指さして「バカ野郎!」っていう相手がいちゃうんだよね。
加害者がいるのが最高の不幸だよ。
いつまでたっても自立できない…

※藤田大さん自身は、悪者を特定することはせず、中立の立場を保ってます※


とはいえ、どんなに時間がかかろうとも、希望を持って進むしかないのです。

先の見えない、その莫大な時間を耐えていくには、
私たち日本人が心を寄せ合い、 励まし合って生きていく必要があるのです。


福島に行って、
私は、確かに、強い「生命力」を実感しました。



今年よりも来年、きっと少しだけ前へ進めるはず。




※やっと書き上げました。
旅行から1か月以上かかっちゃいました。
写真は、200枚くらい撮っています。
福島から帰ってすぐには、心を落ち着けて言葉にすることができませんでした。
この文章も全く十分ではありません。

ただ、実際に現場に行って感じることは、とてもとても大切だと実感しました。
土地は、感情を持っています。
そこに住んでいた人の感情でしょうか・・・それとも、もともと大地が持っているものなのでしょうか。
その土地の感情を、直に感じてこそ語れるものが
あるような気がします。