ラザロ | 日本酒と甘酒 糀素弓(はなそゆみ)の一歩一歩

日本酒と甘酒 糀素弓(はなそゆみ)の一歩一歩

選りすぐりの日本酒や元気の素・甘酒で、疲れた心を休めてほしい。。。そんな願いを込めて2018年12月にオープンしました。
まだまだ赤ちゃんの店なので、皆さまから育てていただけるとありがたいです。

ある金持ちがいた。
いつも紫色の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。
犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。
さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。
金持ちも死んで葬られた。
その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。
しかも、そのふところにラザロが見えた。
彼は叫んで言った。
『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先に水を浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
アブラハムは言った。
『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。
しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。

そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。
ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えてくることもできないのです。』
彼は言った。
『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。
私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
しかしアブラハムは言った。
『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』
彼は言った。
『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』
アブラハムは彼に言った。
『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
(新約聖書ルカの福音書16章より)


今まで私は、この箇所を、生きているときの私たちの行動に対しての警告だと受け止めていました。
生きているときに、神様のみ言葉を素直に聞き、そして行動に移すことがどんなに大切なことなのかを説いているたとえ話だと思っていました。

でも私は、この箇所を違った意味で思い出しました。


毎日、ぜいたくに遊び暮らしていた金持ちは、死んでハデスという死後の世界へ行きます。
そこは、苦しいところだと記述されています。
一方、生きているときに貧しく悲しい思いをしたラザロという人は、アブラハム(信仰の父・・・かな。神様ではありません)の懐に抱かれて慰められていました。

生きている間、悩みがいっぱいあってそれを一人で抱え込み、悲しく寂しい経験をして死んでいった魂でも、
苦しんだ分、天国で安らかに慰められる・・・

この1週間、この聖書の部分を何度も何度も思い出します。

だからといって、与えられたこの一生を苦しんで暮らせ、ということではないのですが、、、

この世で寂しく悲しい思いをしていた魂も、
天国ではきっと報われるんだという約束を
聖書の上で神様がしてくださっているように感じるのです。

生まれてきた時代や環境で、苦しんだり悲しんだりする人はこの世にたくさんいます。
そんな人たちも、必ず天国では報われる・・・そう思うだけで
ほんの少しだけ、救われたような気持ちになりませんか?