救われたかどうかは何で判断したらいいか | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

世の中には阿弥陀仏に救われたと思っている人がたくさんいます。

その人たちの多くは、自分がした何らかの体験を通して、自分は救われたのだと思い込み、これで死んだら浄土に往生できると思い込みます。

でも、本当に浄土に往生できるならば、生きている時から、浄土へ往生してゆく体験があるはずです。

例えば、多くのものを失ったとしても、それに対して執着することなく、諦めることができるとか、怒りが吹き上がっても一瞬で消えるとか。

本当に救われたならば、阿弥陀仏のお力によって、執着を起こしても、すぐに断ち切ってもらったり、煩悩を起こしても、取り除いてもらったりするはずです。

それを通して自分は浄土に往生してゆくんだと感じるし、阿弥陀仏の救いは間違いないと感じます。

自分の身に間違いなく起きる苦しみを取り除いてもらう経験こそ、阿弥陀仏に救われた証なのに、何かしらの体験があっただけで救われたと勘違いしてしまうのは、救われたかどうかが問題になって、浄土に往生できるかどうかが問題になっていないからです。

阿弥陀仏に救われたならば、生きている時から浄土へと往生してゆく。

それが本当に阿弥陀仏に救われたかどうかハッキリするところなのです。