せっかく料理を作っても、食べてくれる人がいなければ、作った意味がない。
同じようにどんなに善をしたいと思っても、相手がいなければ、善はできません。
そういう意味で、善はする人だけが素晴らしいのではなく、善をされる相手も素晴らしいと思います。
よく私は人のお世話になっているばかりで、生きている意味があるのだろうかと思う人がいますが、そういう人がいるおかげで、善ができる人がいるのです。
相手がいなければ、善はできません。そういう意味で善をされる相手となる人は、胸を張って受けたらいいのです。
ただ受けることが当たり前になってしまったら、善をする人も気持ち良くできません。
最低限、善をされる人は、善をする人が気持ち良く施すことができるように心がけることが大切です。
そうすれば、善をする人もされる人も共に幸せな気持ちになれる世界が待っているのです。