人は死を意識することで求道が始まる。それは死んでゆく時には何一つ持ってゆくことができないと知らされるからです。
私たちは生きている間は価値のあるものをかき集めて安心しています。それは価値のあるものを集めておけば、自分は価値のある人間なんだと善人に立っておれるからです。
たとえ死んだとしても、このまま価値のある人間、善人と思って死んでゆけるから安心しておれるのです。
しかし、自分の死を意識するようになると、その安心は吹き飛び、不安に包まれます。
死んでゆく時には何もかも置いてゆかなければならない。持ってゆけるのは、丸裸の自分だけ。
だから、この心の不安を取り除き、少しでも幸せな心にならなければ、後生は不安だと思うのです。
だから、死を意識すると、教えに従って実践して自分を変えてゆこうと思うのです。
死んで持ってゆけるのは、己の業だけ。
この自覚を持つことで、価値のあるものを集めて安心していた人生が、本当に善というものを身につけて安心したいという心になるのです。
そして、この先にあるものが、悪人でも救われる教えなのです。
悪人が救われるのが真実ではありますが、私たちは善人でなければ安心できない心がある。
この善人にとらわれる心から離れて、真に幸せになる為に求道に励むことが大切なことなのです。