人は人生に終わりがあることを感じて、時間を大事にしようと思って、一日を過ごすと、時間というのは瞬く間に過ぎてゆくことが知らされます。
そして、時間の速さが知らされることで、一生というのは、どんなに長く生きたとしても、すぐに死がやってくることが知らされます。
この時、物凄い苦しみを感じます。これが心が無常に切られた苦しみです。
今日という日にしがみついていたいのに、しがみつく腕ごと切られる苦しみです。
苦しいから次々と心から執着の腕が生えてきて、何かにすがろうとしますが、すがっても、すがっても、切られてゆくので、切られたことで苦しくなります。
そして、最後は何もすがれなくなる。
その時、何処へゆくか分からない時間という流れの中でただ流されてゆくだけの不安な自分が知らされて、私を一人にしないでと心から思うのです。
見捨てられ不安である疑情が晴れなければ、この不安を解決してくれる方は阿弥陀仏だけ。
阿弥陀仏にガチっと摂め取って頂く以外、疑情を抱えた私たちが安心して死んでゆくことはできないのです。