人は必ず死ぬ。でも、多くの人は人は死ぬと頭では知っていても、自分が死ぬとは思わない。
思ってない証拠にお金や財産、地位や名誉に執着しています。私たちは一度価値を手にすると永遠に失うことはないと思っています。それが死ぬと分かると、手にした価値すべてを失うことが知らされます。そして、価値を失うと分かって執着することはできないので、死ぬと分かると執着が無くなるのです。
この価値が無くなると知らされると、生きている今から何もない自分が知らされます。
そして、何もない自分はいてはいけないと思っているので、自分のことをダメな人間だと思うことが多くなります。
だから、死という真実が知らされるとダメな自分が見えるので、欲や怒りを起こし現実を誤魔化そうとします。
私たちは真実が知らされればされる程、欲や怒りなどの煩悩を起こし真実を誤魔化します。
だから、真実を知らされなかった時には起きなかった煩悩が真実が知らされる程、誤魔化したくて起きてしまうのです。
この煩悩は何もない自分でもいてもいいんだと思えるようにならないと無くならない。
その為には、自分のそばに心を支えてくれる人が必要です。
私たちは真実が知らされたら、それで幸せになれると思っていますが、真実が知らされると苦しみが起きてくる。
苦しみが起きるから苦しみを誤魔化す為にに煩悩が起きる。
苦しみを誤魔化すと、苦しみは見えなくなるが、それは無くなった訳ではない。そうやって私たちは本当に死ぬまで苦しみを誤魔化しながら過ごしてしまうのかも知れませんね。
そういう意味でも何もない自分でも見捨てない存在が必要なんだと思いました。