お釈迦様は大無量寿経を説かれる時に、全身に喜びが満ち溢れた。それはお釈迦様が一番説きたかった経を説くことができるからです。
大無量寿経には阿弥陀仏の本願が説かれている。阿弥陀仏の本願にはすべての人を救ってあげたい、その為にならどんな苦労も惜しまないという阿弥陀仏の御心が教えられています。
この阿弥陀仏の気持ちと同じようにすべての人を救ってあげたいという境地に出て欲しい、そんな世界に出させることがこの釈迦が今まで教えを説いてきた目的なんだと教えを説き続けてきたお釈迦様がいよいよ阿弥陀仏の本願を説くことができる時がやってきた、その喜びから全身に喜びが満ち溢れたのです。
仏法を聞いていても、この境地に出る人はない。この命をかけてでも人を救う為にどんな苦労も惜しまず尽くし続ける、そんな気持ちになる人はいません。
お釈迦様は人を救いたいと思う世界に出ることが仏教なんだと話しても、そんな境地に出れるなんてお釈迦様のような人になるなんて自分には無理と疑って、信じない人ばかりなので、お釈迦様は長い時間をかけて人々の心を育てて、自分の苦しみを抜くことよりも、他人を幸せにする為に苦労したいと思えるようにしていかれた。
そして、この人たちなら私と同じ仏の道を進んでくれる。今から私が説く阿弥陀仏は私もこの阿弥陀仏のように今まで教えを説いてきた私の道でもある。その道はこの釈迦だけが進める道ではない、あなたたちも同じ道を進んで頂きたい。
今ならこの教えを説いても疑いなく聞いてくれるだろう。さあ、皆さんもこの阿弥陀仏が願われたことと同じ願いを持ち、阿弥陀仏が進まれた道を進んで欲しい。
この道を進む人はこの釈迦の親友だ。
この釈迦は死んでゆくが、この釈迦と同じ志を持った人がこの世に現れ、これ世界を正法の世界にして欲しい。
たとえ一人でもこの釈迦と同じ志を持った人が現れたら本望だ。
大無量寿経を読むと時空を越えてお釈迦様の願い、ご苦労が伝わってくるような思いになります。
南無阿弥陀仏。