私たちは外界の世界にとらわれる。それを一般的に没頭するとか、夢中になると言われますが
仏教では、このように何かに夢中になることから離れなさいと教えられます。
それは自分の心が見えなくなるからです。心が見えなくなると、心で醜いこと、汚いことを思っていても、全く気づかなくなります。
ちょうど暗闇のなかにいるようなもので、暗闇の中で何をしていても、分からないように、心でどんな思いを起こしていても、それに気づかないから、恥ずかしいと思うことがないのです。
お釈迦様は仏教は法鏡なりと言われました。
仏教とは自分の心を映す鏡なのです。鏡があるからこそ、それを見て自分を反省することができます。
この法鏡こそ、仏法の教えを聞くことであり、また、戒を実践することなのです。
仏教とは心を見つめてゆく教え。
心からいつも目をそらさず、自分の心からどんな思いが起きているか知ることで、自分の姿を反省し、浄らかになってゆこうとしてゆく。
それが仏教という教えであり、仏教を聞いている人の姿です。
今日、仏教を聞いている人はいても、心に目を向けることなく、心からどんなに悪を思っても、気づくことがないから、恐ろしいと思うこともない人が少なくありません。
本当に何のための仏教なのか、悲しい思いでいっぱいです。