幸せは普段の努力の結晶 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

幸せは自分がどんなに努力しても、まわりがギクシャクしているとなれません。

だから、まわりの人に仲良くしてもらいたいと思ってしまいます。

でも、それは強制してもなれるものではありません。だから、自分ができることは、まわりの人にひたすら温かいものを与え続けてゆくことが大切だと感じています。

結局、人はまわりの人に温かくする人に集まってきます。そして、そこに疎遠な人同士が集まってきたら、色々なトラブルが起きますが、そこでやることも、その人たちに温かいものを与え続けてゆくだけ。

しかし、温かいものを与えても、相手の心からは冷たいものが吹き上がり、不安や穢れを受けてしまいますが、それでも、乗り越えて温かいものを与え続けてゆく。

そうしたならば、疎遠な人たちも、これではいけないと思って仲良くする努力を始めます。

人を温かくしても温かいものが返ってくる訳ではありません。でも、多くの人は温かいものを与えたら、温かいものが返ってくるものだと思っています。そこで温かいものを与えたのに、温かいものが返って来ないと、もう温かいものを与えるものかと思って、今度は冷たいものを与えるようになる。

そして、冷たいものを与えられた人は、じゃあ、自分も温かくしなくていいんだと冷たいものを返してゆく。

そうやって冷たいものをお互いに与えてしまうのです。

その中、どんなに冷たいものを受けても、温かいものを返し続けることは大変なことですが、誰かが温かいものを与え続けなければ、一つに集まった関係も崩れてしまいます。

一つに集まり続けることは難しいもの。だけど、集まり続けてゆくことで、そこが幸せな環境になってゆきます。

幸せはみんなが安心して集まる環境を作ろうとする人のまわりに生み出される。

幸せとは不断の努力の結晶なんですね。