私たちは見捨てられ不安を抱えているので、悪をするほど、見捨てられるのではないかと不安になるのではないかと思いがちですが、実際は悪をする人ほど、自分のやった悪を正当化してしまい、正しい所に立つので不安にはなりません。
この不安は悪をやったら不安になるのではなく、善に心がけなければ見えては来ません。
私たちは善に心がけた時しか、自分の悪は見えては来ないのです。たとえ自分の悪を責めている人がいたとしても、それは自分の悪を認めたからではなくて、自分の悪を否定することによって善人に立ちたいだけであり、自分の悪を認めている訳ではないのです。
悪を否定する人は悪を否定することで自分を善人に立つ。善人でなければならないと思っているので、悪をいつまでも責めてしまうのです。
自分の悪は善をしなければ見えて来ない。見えても、悪を許さなければ受け止められない。だから、いつまでも見える度に否定し続けてしまうのです。