善は頭で分かっていてもやらなければ意味がないという人がいますが、仏教の教えでは、たとえできなくても、頭でこれは善なんだと分かっているだけで、素晴らしい善なんだと教えられます。
それは仏教では善をすることよりも、善悪の基準を変えないことが大切だからです。
私たちはこれは善だと分かっていても、やろうとしてできないと、やらなくてもいいんだと善悪の基準を変えてしまいます。
結局、悪を善にしたり、善をやらなくてもいいことなんだとしてしまうのです。
だから、たとえできなくても、善悪の基準を変えないことが何よりも大事。
できないことは悪だけど仕方ないと自分の悪を許すことが大切なことなのです。
まず自分の悪を認めて、それから少しづつやってゆく。
そうすることで、善ができない人も善ができるようになる。
善はまずできない自分を許さなければ、やれないことなんですね。