人間は自分の中に善人の自分と悪人の自分を持っています。日頃は善人の自分に立って生きていますが、何かのことで思い通りにならない現実にぶつかると悪人の自分が見えます。
そんな時は自分には良い所があるのに、そんなこと全部吹き飛んで、自分は悪い所しかないように思って、こんな自分は存在してはいけないように思ってしまいます。
しかし、たとえ悪人の自分が見えたとしても、だからと言って、存在してはいけない訳ではありません。
なぜなら悪人の自分を持っているのは、自分だけでなく、みんな持っているからです。
もし自分が存在してはいけないとしたら、みんなも存在してはいけないことになってしまう。
だから、みんな存在してもいいのなら、自分も存在してもいい。悪人だからいてはいけないと思うのではなく、悪人でもここにいてもいいんだと許してあげることが大事。
仏教は悪人を否定する教えではなく、許す教え。
この世にいてはいけない人はいないのだと思って、悪人の自分を許してゆくことが大切なことなのですね。