仏法の教えとはものさし。だから、仏法の教えに従うことで、自分の心が見える。
この見えた心について質問して自分を知るのが聴聞。
だから、仏法とは自分というものが知らされる教えなのです。
だから、どんなに教えを聞いていても、教えを実践しなければ、自分は分からない。
そして、実践とは、とにかくやらなければならないと思ってやることではありません。
分かっていても、できないことはある。その時にできないことに対して、自分がどう感じたか見てゆくことで、自分が知らされる。
教えは自分を知る為のものさし。
自分が知らされる為にやらなければならないのですね。