阿弥陀仏に救われることは幸せだけど幸せでは無い | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

阿弥陀仏に救われると絶対に心が崩れることの無い幸せ者になると説かれます。

しかし、確かに幸せな身になるのですが、それと同時に言い知れないほどの孤独感を抱えます。

それは阿弥陀仏に救われるとは、人生をかけて仏法一つ伝えてゆかなければならない身になる。

それはとても大きなプレッシャーであり、この苦しみは誰にも分かってはもらえません。

その為、孤独の中、たった一人進んでゆかなければならなくなります。

だから、阿弥陀仏に救われた人ほど、この気持ちを分かってくれる人を求めます。自分の胸の内を話をして、すべてを受け止めてもらいたい、分かってもらいたいと思うのです。

そして、この仏法の為に人生をかけなければならない責任から解き離れたいと思うのです。

自分の気持ちを分かってくれる人から、「分かったよ、大変だったね。後は僕がその責任を引き受けるから、あなたは自由にしていいんだよ」と言ってもらいたいと思っています。

それだけ孤独なんです。

本当はそんなに重い責任を持たなくてもいいのに、自分の中でやらなくてはと思ってしまうのです。

これも思い込みによる苦しみなんだと思います。

私はお蔭さまで、そこまでの重い責任を抱え続けることからは解放され、今は自分の出来る精一杯でいいんだと思えるようになりました。

阿弥陀仏に救われることは、幸せだけど、幸せではないんですね。