仏教というのは、目の前の人と一生付き合ってゆく思いで接してゆく教え。だから、相手と接していて問題があったとしても、その問題と向き合うのが嫌だからと言って、相手を切ってしまうことはできない。
相手を切る事ができないから、相手を通して見える都合の悪い自分とも向き合ってゆかなけれぱならない。
この都合の悪い自分を如何に受け入れてゆくか、それが人生にとって大事なことです。
それは臨終に、自分の我が崩れ、都合の悪い自分と向き合わなければならなくなるからです。
私たちは都合の悪い自分を見たくない。だから、人と付き合いながら、都合の悪い自分が見えそうになると、その人との縁を切って、次の人に移ってしまいます。
でも、どんなに次の人に移ったとしても、その人と付き合ってゆくと、また、都合の悪い自分が見える。
だから、次から次へと新しい人を求めてしまうのです。
そのような人は切れることを前提に付き合っている。
でも、嫌だったら切ればいいという考え方では、私たちは幸せにはなれません。
都合の悪い自分が見えても暖かく受け入れてあげてこそ、幸せになれる。
だからこそ、同じ人と付き合いながら、都合の悪い自分を受け入れてゆかなければなりないのです。
同じ人と付き合わなくては分からないことがあるのですね。