神に参ってならないのは | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

浄土真宗では、神を祀ることを禁ずる。それは神信心というのは、神に対してお金を供養したら、商売繁盛や家内安全というご利益が得られると信じられているからだろうと思います。

しかし、仏教の教えから言ったならば、どれだけ神様に捧げ物をしたからと言って、商売繁盛するかどうかは努力次第。努力をせずに神を参っていても、結果は得られないと教えられます。

確かに仏教のものでも、お金を出せば、ご利益が得られると教える人は多い。

それは生活の為には、信者がお金を出してくれたらいいので、お金で幸せが買えるような教えがまかり通るのは分かりますが、それは信者を食い物にして騙しているのと同じ。

どんなにお金を出しても、幸せになれるかどうかは、本人の努力次第。お金を出さなくても、努力すれば、幸せになれるし、お金を出しても本人が努力しなけれぱ幸せにはなれません。

タネを撒かなければ結果は得られない。それはお金を仏や神に捧げることによって得られるものでは無いということを知ってもらいたいと思いました。