人生とは流れるように過ぎてゆく。その中でどのように時間を過ごすか。それが悔いなき人生になるかどうかが決まります。
多くの人は人生はいつまでも続いてゆくと思って生きています。
だから、今、時間があっても、それを大切にしようと思うことなく、欲を満たすことに使ってしまいます。
しかし、どんなに欲に流れたとしても、それによって何も残らない。ただ空しく時間を過ごすだけで終わってしまいます。
でも、私たちは時間は無限に思っているから、欲を満たして、時間を空しく過ごしても、時間を無駄に過ごしたと思うことなく、むしろ、時間を有意義に過ごしたと思ってしまいます。
そうやって、欲を満たすことに時間を費やして、最後死んでゆく時に自分の一生とは何だったのかと空しくこの世を去ってゆかなければならないのです。
死を目の前にすると、今まで間違いのない現実だと思っていたものが夢幻のように感じられ、今まで夢のように実感のない仏法の話が揺るぎない現実として突きつけられる。
だから、人生で本当に大事にしなければならないものは、死を意識しなければ分からないものであるし、多くの人が時間を大事にしたいと思ってやっていることは、死を目の前にすると、夢のように消えてゆくものばかり。
どうしたら時間を大事にできるか、それは仏法を聞かなければ分からないもの。
本当に意味のあることに時間を使ってゆきたい。
それは常に死を意識して生きることでもあります。