私たちは悪人と見ると、その相手を馬鹿にしたり、責めたり傷つけていいと思ってしまう。
しかし、それによって相手はどれだけ傷ついていると思うと、たとえ相手がどんなに悪人でも傷つけることは罪なんだなと思います。
しかも傷つける人は何の罪悪感もなく、自分の言動によって相手がどんなに傷つくか分からず、傷つけている。
相手の気持ちが分からないというのは本当に恐ろしいことなんだなと思います。
かくいう私も相手のことを何も考えずに傷つけてきた一人です。
人は正しい所に立つと相手の気持ちが見えなくなる。相手がどんなに傷ついていても気づかずに、そのまま放置してしまう。
しかし、傷ついた心は消えることなく心に残り続ける。阿弥陀仏はきっとそんな心を見捨てることなく必ず救うと誓われたのだろうと思います。
他人を救うとは、相手の側に立って寄り添い続ける。そして、相手の心の傷を我事のように受け止めてゆく。
だから、救う側は悲しみの連続。
申し訳なかった。すまなかった。ごめんねと、もう謝ることしかできない。
人生とは償いの場。
過去の自分の悪行を受け止めて、ひたすら謝り続ける。
本当は傷つけないことが一番だが、それは昔の自分にはなかったこと。
自分のやってきたことから逃げず、向き合い続ける。
それが救う側の責任なんだと思いました。