自分の中には善人の自分の部分と悪人の自分の部分がある。
私たちは他人から嫌な顔をされたり、嫌われたくないから、自分の中の悪人の部分を否定し、善人の自分だけで生きてゆこうとする。
でも、どんなに悪人の部分を否定しても、消える訳ではないので、否定された悪人の部分は傷つき、悲しみを抱えて生きることになります。
しかし、私たちは悪人の部分がどんなに傷ついていても、自分の中に存在していることを認めないので、悲しみを抱えていることにも気づかず生きています。
そんな人も善人の自分の我が崩れた時に悪人の自分が見える。
その時、今まで見えなかった悲しみが溢れてくる。
私たちはこの悲しみを他人から傷つくようなことを言われたから悲しいのだと思ってしまいますが、この悲しみはもともと持っていた悲しみ。
善人の我が崩れたから見えただけで、悲しい思いにさせてきたのは自分自身。
他人に迷惑をかけるような悪人の自分の存在を認めなければ、いつまでも悲しみを抱えながら生きてゆかなければならないのです。
迷惑をかける存在でも自分に優しくなることが大切なんですね。