目の当たりにしてからでは手遅れ | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

思い通りにならない現実とぶつかった時に我が崩れる。

我が崩れると今まで隠れていた感情が見える。多くの場合、我によって隠れている感情が苦しみの人が多い。

だから、我が崩れると苦しむ。

でも、それは我が崩れたから苦しんだ訳ではなく、元々苦しんでいたのだけど、我によって隠れていただけ。

だから、我が崩れたことは、自分が苦しんでいたことが知らされるので本当は有難いこと。

でも、私たちは自分が元々苦しんでいたと思っていないので、思い通りにならない現実があるから苦しんでいるとしか思わない。

だから、思い通りになれば苦しむことなんてぬいのだと思ってしまう。

その結果、自分の苦しみに目を向けることなく、思い通りになるか、なりないかしか問題にしない。

思い通りにならない現実にぶつかることは苦しみではない。自分の抱えている苦しみに気づく大事なご縁なんです。

でも、そのことは仏法を聞かなければ分からないこと。

ほとんどの人は自分が本当は苦しんでいることにも気づかず、臨終になって今まで隠れていた苦しみが目の当たりになるまで、放置してしまうのです。

それでは手遅れ。

目の当たりになる前に行動に移さなければならないことなんです。