思い通りにならない現実とぶつかった時に我が崩れる。
我が崩れると今まで隠れていた感情が見える。多くの場合、我によって隠れている感情が苦しみの人が多い。
だから、我が崩れると苦しむ。
でも、それは我が崩れたから苦しんだ訳ではなく、元々苦しんでいたのだけど、我によって隠れていただけ。
だから、我が崩れたことは、自分が苦しんでいたことが知らされるので本当は有難いこと。
でも、私たちは自分が元々苦しんでいたと思っていないので、思い通りにならない現実があるから苦しんでいるとしか思わない。
だから、思い通りになれば苦しむことなんてぬいのだと思ってしまう。
その結果、自分の苦しみに目を向けることなく、思い通りになるか、なりないかしか問題にしない。
思い通りにならない現実にぶつかることは苦しみではない。自分の抱えている苦しみに気づく大事なご縁なんです。
でも、そのことは仏法を聞かなければ分からないこと。
ほとんどの人は自分が本当は苦しんでいることにも気づかず、臨終になって今まで隠れていた苦しみが目の当たりになるまで、放置してしまうのです。
それでは手遅れ。
目の当たりになる前に行動に移さなければならないことなんです。