苦しんでいるのに自覚のないのは | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

仏教では、すべての人は苦しんでいると教えられる。

でも、多くの人は自分が苦しんでいるなんて自覚しているなんて気づいてはいないと思います。
じゃあ、苦しんでいる自覚がなければ苦しんでいないのかと言えば、そうではありません。

私たちが苦しんでいる自覚がないのは、自分が今求めているものは意味があると思っているからです。

人は必ず死ぬ。どんな人も死を免れることはできない。頭ではみんな分かっていることですが、自分が求めているものが死んでゆく時には何一つ持っていくことはできないと分かっていません。

みんなやがて死んでゆくと知っていながら、本当に死ぬとは思ってはいないのです。

だから、自分が手に入れたものを失うとは思ってはいない。

だから、やがて失うものを求めていることに気づかないのです。

どんなに素晴らしいものを手に入れても、それを失ったら、求めてきた苦労は無駄になります。

無駄なものを求めることに人生を費やすことほど苦しいことはないのに、失うと思っていないから、苦しんでいることにも気づかないのです。

本当に死ぬと分かったら、すべてのものが色褪せる。そして、無駄なことに人生をかけてきたことに苦しまずにはおれないのです。

それが分からず無駄なことを求め続けていることは果たして幸せなことか不幸なことか。

分からないことはやっぱり不幸なことだと思いました。