よく人間に生まれてきたのは修行する為だという人がいますが、これは半分あっていて、半分間違っている。
なぜなら多くの人は我によって自分を善人に固定して、そのイメージを崩さないように生きているだけだからです。
だから、人生を通して色々なことを経験しても、それを反省することができず、自分のイメージを崩さないように、起きた問題を軽く見たり、他人のせいにしたり、自分だけじゃない、みんなもそうなんだと思おうとする。
だから、自分の心にメスを入れることができず、自分の間違いを受け入れることができません。
それは多くの人が悪を責めるからです。
悪を責めることで、自分には少しの間違いのない人間だと思うことができます。
だから、自分は少しも悪くないと思って、相手を責めてしまいます。
だから、自分に間違いがあると今まで他人を責めてきたものがはね返り、自分の元へとやってくる。
だから、自分の間違いを認めることができないのです。
だから、少しでも自分に間違いがあると、自分よりも悪い人を探して、その人を責めることで、正しい所に自分を立とうとします。
だから、間違いが多い人ほど、いつも他人の悪い所ばかり見るようになるのです。
人は正しいことをするから、正しい所に立つのではない、他人の悪い所を責めるから正しい所に立つのです。
どんなに相手が悪いことをしても、自分にも悪いところがあるのだからと許せるようになったならば、間違いがあっても反省できる。
失敗を通して成長してゆくことができるのです。