私たちは馬鹿にされたり、見下されたりして苦しむことがあります。ここで自分が苦しむのは、下だから苦しんでいるように思って、上になれば苦しむことはないのだと思っている人が多いと思いますが、仏教から言えば、下だから苦しむ訳ではありません。
苦しみを生み出すのは、上か下かにとらわれる心によって苦しんでいます。上を作り出すから、同時に下を作り出して苦しむ。上とか下とかにとらわれる心がなければ苦しむこともありません。この上とか下とかにとらわれる心を仏教では分別心といい、分別心によって私たちは苦しんでいるのです。
だから、苦しみから離れる為には、自分が上とか下とかにとらわれることなく、どんな人にも温かく接してゆく。それが上とか下とかにとらわれない心を生み出してゆく。そして、下になって馬鹿にされても何とも思わなくなってゆくのです。
幸せは下にある。下になった時に苦しむことがなければ、どんな環境に行っても苦しむことはなくなるからです。