世の中の人は価値を求めている。みんなが価値があると思っているものを手に入れたら、自分は価値のある人間になれると思っています。
そして、価値のある人間になったら、優越感を味わうことができるから、価値のある人間になりたいと思っているのです。
例えば、選挙に当選して、代議士になったら、まわりの人は先生、先生と言ってくれます。そうしたならば、まるで自分は偉くなったように思えて優越感に浸れます。
また、ブランド品を持ちたいのも、ブランド品を持ったならば、価値のある人間になれたと思うからです。
このように自分は何も変わらなくても、価値のあるものさえ手に入れたら、自分はまわりの人とは違う偉い存在になれると思っています。
でも、どんなに価値のあるものを手に入れて価値のある人間になれたと思っても、自分は何も変わってない。だから、死んでゆく時にはすべての価値を失い、価値のない人間に戻ってしまう。
でも、私たちは価値を失っても、価値のない自分と思いたくないから、現実の自分を惨めだと思って責めます。惨めだと思うのは、高い所に立っているから。そして、高い所に立っていたいから、現実の自分を責めることで、高い所を維持しようとします。
でも、結果的にそれは現実の自分を責めることになるので、苦しむ。しかも、生きている時に、価値のあるものを手に入れて、自分は価値のある人間なんだと思って高い所に立った人ほど、激しく現実の自分を責めて、苦しみます。
人生とは、幸せを求めて価値を求め、価値を求めることで、死後の苦しみを大きくしています。まさに真実を知らなければ、苦しむ為に生きているのが人間と言えるでしょう。
この真実を知ることこそ、幸せになる為の第一歩なのです。