私たちは見捨てる、見捨てられる世界の中に生きています。思い通りにならない相手は見捨てる、悪人は見捨てる。このように人を簡単に見捨てるから、自分も見捨てられるのではないかという不安が起きます。
だから、価値のある所にしか立てなくなる。価値のある所に立っているからこそ、自分は簡単に見捨てるが、見捨てられるという不安を感じなくて済みます。
しかし、臨終になると、すべての価値を失う。だから、価値のある自分から、価値のない自分になってしまう。私たちはこんな現実を見たくないから、悪を責めて価値のある所に立とうします。それは他人でも自分でも関係なく悪を責める。
だから、死を目の前になると、自分の悪いところばかりが見え、自分を責めずにはおれないのです。
私たちは価値のない裸の自分をまともに見ることはできない。だから、自分を責めてでも価値のある所に立とうとするのです。これが未来の地獄を生み出す。
人はこの見捨てる、見捨てられるという世界から抜け出さない限り幸せにはなれません。
この不安がある限り、この不安を見ないように自分をも簡単に悪人にして責めてしまうのです。