私たちはいつも他人と比べて自分の方が価値のある人間になりたいと思って生きています。これを仏教で驕慢山といい、人生とは驕慢山を高く高く登ることだと思って生きています。
しかし、一度驕慢山に登って優越感を味わったとしても、やがて降りてゆかなければなりません。その時、高く登って優越感を味わったほど、今の自分が惨めに思えて苦しまなければなりません。
幸せとは、苦しみを生み出すもの。これが驕慢山の宿命です。人はみな幸せを求めて生きていますが、驕慢山では、幸せを味わった人ほど、酷く苦しまなければならず、また、そこから降りていっているのに、まだ高いところにいるんだと現実を受け入れることができません。
仏教では幸せになりたければ、驕慢山ではなく、悟りの山に登らなければなりないと教えられます。驕慢山から悟りの山に求める道を変えること。それが幸せになる為に大切なことなのです。